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江戸幕府を開いた家康は秀忠に将軍位を譲り、豊臣の世に終止符を打たんとする。激怒した淀殿・秀頼母子は12万の軍を集めた。しかし家康はこの時を待っていたのである。
慶長19年(1614)11月、今福・鴫野、野田・福島で戦端が開かれた。大坂城は攻城戦上手の秀吉の普請である。幸村は籠城を奨め、唯一の弱点となりうる惣構南口に出丸を建設し、敵20万の攻撃を一身に引き受けた。12月4日、徳川方前田利常隊・松平忠直隊が堀際まで攻めかかる。塀に取り付いたところで、幸村は側面から攻撃、大打撃を与えた。この真田丸を見て、家康は力攻めの愚を悟り、講和に持ち込む策に出る。後に「真田日本一の兵」の伝説を生んだ戦いであった。 |
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