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今回は投稿から2つの城をご紹介します。
ご応募ありがとうございました。まだまだ投稿募集中です。
(投稿:お塩の国様より)




かつて徳川の大軍を相手に戦った真田家の居城。
徳川勢に「天守もなき小城」と侮られたと伝わるが、実際は千曲川を天然の堀に見立てた実戦向けの大規模要塞である。
二の丸跡地の公園を抜けると、美しい水堀が見えてくる。この堀の周辺には、桜がたくさん植えられており、春には絶好のお花見スポットに変身するらしい。 東虎口櫓門をくぐって、いよいよ本丸に突入! …しかし上田城は「天守なき城」だ。どこを目指せばよいものか分からず、とりあえず南櫓に攻め込む(入館料250円)。
櫓門の上を通り抜け北櫓に入ると、そこには城主・真田昌幸と、信之・幸村の姿が!でも顔がイメージとちょっと違う!?
右手の石垣には、上田城築城時より残る「真田石」という大石がある。
真田信之が松代転封の際に運び出そうとしたが微動だにしなかったとか。
かつては千曲川の分流・尼ヶ淵より水を引いていた二の丸の堀跡。
この橋を渡ると二の丸に入る
本丸内に建立された神社には、真田家の家紋・六文銭が掲げられている。 神社裏手にある「真田井戸」の底には抜け道があるという伝説が残る。

東虎口櫓門に隣接して北櫓・南櫓が侵入者を睨み据える。
北櫓内部では真田父子に出会える。
   
(投稿:郷土の城様より)


葛尾城は、信濃の豪族・村上義清が本拠とした山城として、あまりにも有名。 関連する史跡に、麓には居館跡と義清の墓所などがある。
城は山の尾根の最端部に細長くのびる構造で、出城としての姫城と一体化しその規模は大きい。城郭は残っていないが、山城の雰囲気は当時のままで、登城してみると、その要塞堅固ぶりは強く実感できる。
登山口に入ってしばらくすると、尾根づたいに段々と続く郭が現れる。まさに天を見上げる急な郭群だ。郭群の横はまた急峻な崖である。ここを攻城する兵士の苦労はいかばかりか。急な坂道、側は崖、目の前には郭と弓を構える敵兵。守備側が十分なものであれば、攻城側の兵の犠牲は計り知れない。



本郭跡。
標高800メートルの山城
急な登山道を上ること小1時間。 千曲川を見下ろす。

郭群を越えると尾根の最高部付近で、そこには堀切で区切られた二の郭、三の郭が広がっている。そして、主郭はさらに一段高所にある。眼下を見渡せば、千曲川横を通じる北国街道の様子はたちどころに察知できる。
登山口から本丸までは45分程度。登山途中にはカモシカと出くわす。周囲に観光用の駐車場もなく、まさに隠れた名城だ。

武田信玄の右腕として活躍した幸隆。真田一門の頭領で、幸村の祖父にあたる。

ゲーム中盤から城主は村上義清から幸隆に移る。さらに昌幸が城主となってからは「上田城」に変名、城郭も大改修されることになる。 石垣としっくい塀に囲まれた本丸には、高い日本文化の象徴である四層白天守がそびえる。


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