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永正元年、築城された平城。弓馬の名家・小笠原家の繁栄の後、武田信玄が信濃支配の拠点とした。その後も、城主の入れ代わりが激しく、変転の歴史をたどる。
堀を渡って太鼓門をくぐり、再び堀を渡って今度は黒門をくぐると、本丸。天守 がぐっと迫ってくる。五層六階の大天守に、乾(北)に三階の小天守が渡櫓で連
なり、巽(東)に付櫓、月見櫓と続く、連結複合型の堂々たるものである。傍ら には、小笠原長時ゆかりの白牡丹が植えられている。武田に攻められたとき、兵
馬に蹂躙されるのを憂えて、寺に託してあったものという。 |
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水堀は美しく光り、堅牢な石垣が防御力を高めている。本丸の入り口を守るは、豪壮な矢倉門。要所に配置された大矢倉が、曲輪に迫る敵軍を容赦なく射すくめる。壮麗な天守は高度な日本/南蛮双方の文化を連想させる。 |
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風林火山の旗を翻し、戦場を駆ける。
驍将の誉れ高い甲斐の虎、武田晴信。 |
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