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東海道、小田原。小高い丘に天守が見える。堀を渡り門をくぐり、塀に登って忍者ごっこしたりしながら本丸まで到達。広場では、甲冑・采女装束を貸し出している。Hディレクターに着せて記念写真をと思ったが、当日はうだるような暑さ、さすがに断られた。そして、驚いたことに象が...。むむ、さすが、手強い城だ。天守の中は資料館、最上階には土産屋がある。望楼から眼下に城下町が広がり、相模湾が見渡せた。かの合戦時は、鉄甲船の大砲が城内まで届いたという。帰りは、歴史見聞館で北条の家印・虎朱印を押していこう。


堀端を守る隅櫓を視界に収めつつ、
朱塗りの学橋を渡る。
左手に馬屋曲輪、馬出し門がある。

馬屋曲輪から堀を渡って二の丸に通じる
大手筋に設けられた表門。枡形にめぐら
せた土塀には銃眼がうがたれている。

本丸正門。傍の巨木からこの名がついた。多門櫓と渡櫓を配した堅固な枡形門構造。

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三層四階の天守櫓、多門櫓、続櫓からなる。
鯱まで含めて高さ約40メートル。




大森氏が築いた山城を、戦国時代に北条早雲が奪い取ってから、子の氏綱が整備、善政をしいて城下は「百年の平和」を謳歌していた。3代目・氏康の時、戦国三大奇襲戦のひとつ「河越夜戦」で、北条の武名は鳴り響く。1561年に上杉謙信、1569年には武田信玄にそれぞれ数カ月にわたって攻められながらも、落ちることなく「難攻不落」を誇った。1590年、豊臣秀吉軍に十重二十重に包囲され、相模湾は水軍で埋まった。伊達家に援軍を拒まれ孤立無援となり、頼みの綱の徳川家康も板挟みで動きがとれず、4カ月の籠城後、ついに4代・氏政らは切腹、開城する。若き5代当主・氏直は高野山へ入った。


模型

一夜城
小田原城合戦で秀吉が建てさせて本営とした石垣山一夜城の跡地。









ゲーム序盤から治めるのは北条氏康。
河越夜戦などで活躍した名将である。

氏政の代に至って飛躍を遂げた小田原城の勇姿。
水堀と石垣が曲輪を囲み、しっくい塀が敵を阻む。
矢倉は最高度の小天守に発展し、頑強な鉄城門が構えられている。
高度な南蛮文化を基とした天守は難攻不落の城塞である。





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