10月12日 マラガにて――
今年も収穫祭の時期が近づいてきた。
秋になるとどの街でも、
農村部から届けられる新しい味覚の山が、
それはもう食欲が増す香りを放っている。
美味い料理、美味い酒、そして賑やかな酒場客と、
美しく着飾った女性たちと過ごすこの時期。
神々から与えられし至高の褒美を、祝い、感謝する。
僕は一年で一番好きかもしれない。

ある街で小耳に挟んだ情報。今年はぶどうが大豊作とのこと。
ぶどうは、日照時間が長く、雨が少ないほど甘くなるらしい。
天候については、…そういえばそうだったような気もする程度だ。
いろいろと想起してみたけど、僕はあまり一つの場所に
留まらないから、実感がわかない。
ワインは、非常に歴史の古いもののようだね。
僕たちが伝える詩にももちろんよく見られるし、聖書にだって
記載されているんだ。古代エジプトの壁画にも、
当時のワイン作りの様子が描かれているようだね。

僕が小さい頃、まだ母と暮らしていた頃の話だ。
僕の母はまれに見る酒豪だったから、
この時期になると途端機嫌が良くなる。
マルセイユでワイン祭りがあるっていうので、
僕を連れて祭りに参加した。
母の姿を見ると普段は決まって
「お前が来ると店の在庫がなくなる」と渋い顔をしていた
酒場のマスターも、あのときは母と嬉しそうにグラスを酌み交わしていた。

母は普段とても厳しかったから、
そうやって酒を飲んで笑っているのを見るのが、とても好きだったんだ。
嬉々として知らないもの同士が肩を並べ、熱く語り合い、美酒に酔いしれる。
彼らも、ただその宴に身を委ね、乗じているわけではない。
豊作は、それこそ自然の気まぐれもあるのだが、一朝一夕で結果の出るものではない。
農民たちの並々ならぬ時間と努力が投じられている。
1年間の労いと、次の一年間への祈りと。ある意味、儀式でもあるのだ。

母と訪れた幼き日以来、ワイン祭りには参加したことがなかった。
今年はマルセイユでかなり大規模な祭りが行われるようだから、
僕もこっそり参加して、母を偲んでこようと思う。

みんなとも、どこかで会えるといいね。

 
燦然と輝く太陽にもたらされる作物は
ついぞ 宝石となる

太陽の宝石を祝う宴は
人々の心からの「感謝」
喜び 歌い 騒ぎ 魂で表現する

喧噪を逃れ 一人酔える場所で老騎士は静かに微笑んだ

人は与えられる幸せを 敏感に感じ取ることはできない生き物だ
失ってから気付き その存在にいつまでもすがる生き物だ

だからこそ 人はこれだけの感謝を表現できるのかもしれない
失って 悲しんで 苦しんだからこそ
心から感謝を述べられるのかもしれない

老騎士はグラスを傾け 小さくつぶやいた
感謝することを与えたもうた神に 恵みをもたらした自然に
たゆまぬ努力を続けた同胞に
全てのものに 乾杯を


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