シブサワ・コウと関わりのある方々から
お祝いのメッセージをいただきました。
※五十音順で掲載しております。
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ゲームセンターCX課長
有野 晋哉(よゐこ) 様
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株式会社ポケモン
代表取締役社長・CEO石原 恒和 様
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伊集院光 様
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Aetas株式会社
CEO / 4Gamer編集長岡田 和久 様
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株式会社青二プロダクション
「真・三國無双」シリーズ
趙雲/諸葛亮役小野坂 昌也 様
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イマジニア株式会社
取締役会長 ファウンダー神藏 孝之 様
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作曲家
川井 憲次 様
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株式会社バンダイナムコホールディングス
代表取締役社長川口 勝 様
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Zホールディングス株式会社/ヤフー株式会社
代表取締役社長川邊 健太郎 様
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菅野 よう子 様
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作家
『神の雫』『金田一少年の事件簿』『BLOODY MONDAY』などの原作者樹林 伸 様
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株式会社KADOKAWA Game Linkage
週刊ファミ通編集長嵯峨 寛子 様
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監督
佐藤 信介 様
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セガサミーホールディングス株式会社
代表取締役社長 グループCEO里見 治紀 様
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株式会社ソニー・インタラクティブ
エンタテインメント
社長兼CEOジム・ライアン 様
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株式会社AGRS
「信長の野望」シリーズ 織田信長役杉田 智和 様
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ソフトバンクグループ株式会社
代表取締役 会長兼社長執行役員孫 正義 様
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株式会社マレ
電ファミニコゲーマー編集長平 信一 様
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声優
竹達 彩奈 様
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株式会社青二プロダクション
「戦国無双」シリーズ
石田三成/柴田勝家役竹本 英史 様
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グリー株式会社
代表取締役会長兼社長田中 良和 様
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株式会社イクセル(Gamer)
編集統括東軒 清隆 様
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株式会社KADOKAWA Game Linkage
代表取締役社長豊島 秀介 様
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株式会社インプレス
GAME Watch編集部 編集長中村 聖司 様
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TYPE-MOON
ライター奈須 きのこ 様
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株式会社KADOKAWA
代表取締役社長夏野 剛 様
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株式会社KADOKAWA Game Linkage
電撃ゲームメディア総編集長西岡 美道 様
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株式会社講談社
代表取締役社長野間 省伸 様
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株式会社アトラス
クリエイティブプロデューサー兼ゲームディレクター橋野 桂 様
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株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス
理事橋本 真司 様
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株式会社KADOKAWA
デジタルエンタテインメント担当シニアアドバイザー浜村 弘一 様
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足利市役所
市長早川 尚秀 様
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株式会社コナミデジタルエンタテインメント
代表取締役社長早川 英樹 様
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株式会社KADOKAWA Game Linkage
ファミ通グループ代表林 克彦 様
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株式会社レベルファイブ
代表取締役社長/CEO日野 晃博 様
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平原 綾香 様
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漫画家
弘兼 憲史 様
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マイクロソフトコーポレーション
Xbox責任者フィル・
スペンサー 様 -
ドラゴンクエスト ゲームデザイナー
堀井 雄二 様
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株式会社サイバーコネクトツー
代表取締役松山 洋 様
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株式会社ディー・エヌ・エー
代表取締役会長南場 智子 様
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株式会社イード
ゲーム事業部 部長/Game*Spark 編集長宮崎 紘輔 様
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任天堂株式会社
代表取締役フェロー宮本 茂 様
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外務大臣
茂木 敏充 様
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株式会社ガンバリオン
代表取締役社長山倉 千賀子 様
株式会社ポケモン 代表取締役社長・CEO
石原 恒和 様
私の中には「ものすごく遊んだゲーム」というのがいくつかあり、それは基本、内緒にしているのだけれど、こういう時にはカミングアウトしないといけないのだと思う。そのひとつが、ファミコン版の『信長の野望・全国版』だ。もう30年以上前のことなので記憶が曖昧なところがあるが、武将のパラメータが気に入ったものになるまでリセマラ?を繰り返したこと、ちゃんとセーブしなかったために死ぬほど後悔したこと、17カ国モードの武将で全部クリアすると50カ国モードに移り、1の蠣崎から50の薩摩大隅まで全ての武将で全国制覇したこと、ゲームが終わった後も単音のPSGサウンドがずっと頭の奥で響いていたこと、などは記憶から消そうとしても消えない。かつてビデオゲームとは、1人のつくり手の中に全てがあった。「信長の野望」はシブサワ・コウというクリエイターの脳の中に繰り広げられていた世界を、ひとつひとつ辿って、旅するような感覚なのかもしれない。その時期、私の脳はずっと「信長の野望」に乗っ取られていた。「なんと罪なものをつくってくれたんだ、襟川さんは!」と思った。
Aetas株式会社 CEO / 4Gamer編集長
岡田 和久 様
いつだったかの4Gamerのインタビューでも触れましたが,僕が一番最初にお金を出して買ったパソコン(マイコン)用ゲームは「川中島の合戦」です。1981年のタイトルで,若かりしころのシブサワ・コウ(襟川さん)が作った,おそらくは国産最古のマイコン用シミュレーションウォーゲームだと思います。当時の僕は,中学校1年生。欲しかったんですが現金書留がなんのことだか分からず,でも僕の両親は当時はまだコンピュータにあまり理解がなかったので,数千円ものお金をコンピュータゲームのために送ってほしいとは頼めませんでした。結局,「それ(マイコン)はきっとあなたの役に立つから」と手放しで理解して応援してくれていた祖母にお願いして送ってもらって,手にいれたカセットテープを学校の理科室にあったMZ-80Kだったか80Cだったかにロードして,こっそり遊んでました。
その19年後に,僕は何の因果か4Gamerというゲームメディアを立ち上げて,子供のころの僕にとっての有名人でありあこがれでもあったシブサワ・コウという人と何度か仕事でご一緒させていただく機会をいただけています。いつお会いしても,いくつであっても,学生ゲーマーみたいに楽しそうに新作の話をしたり,朝までゲームして奥様に怒られた話をしたり,ランキングに載ったとか落ちたとか,とても楽しそうです。
でもそれよりなにより僕にとってのシブサワ・コウは,中学生くらいのころの,ちょっと弱気で友達があまりいなくて,でもマイコンという「新しい何か」を知って夢中になっていたあのころのワクワクした記憶を,一気に呼び戻してくれるヒーローなのです。さすがに殿上人ですから,僕なんかがそうそう気軽にお会いできるような方ではないですが,いつお会いしてもそのころの“空気”が思い出されて,すごく懐かしい優しい気持ちになって,よしちゃんと頑張ろうって思えます。そう考えると,4Gamerという組織は結構シブサワ・コウに依存しているのかもしれません。
僕はコンピュータゲームもアートであると思っているので,シブサワ・コウもアーティストです。アーティストであるからして,年齢なんかあんまり関係ないし,きっとまだまだ現役で作品を作り続けてくれるはずです(奥様が許してくださる限りは)。さすがに100周年はちょっと難しそうですが,それでも60周年くらいなら,シブサワ・コウであれば軽くクリアしちゃいそうな気もしています。いつもの穏やかなトーンで「なんとかなったんですよ」って。そのときにまた,こうやってコメントを書かせていただけることを心からお待ちしております!
作曲家
川井 憲次 様
シブサワ・コウ様、40周年記念おめでとうございます。
長きにわたり素晴らしいゲームソフトを多数開発され、日本のゲーム業界を牽引されてきたことを心より尊敬し、そして感謝いたします。
シブサワ・コウ様とは、ある授賞式でご一緒したとき、初めてお目にかかる奥様にご挨拶させていただきましたが、作曲をしていることをお話ししたところ「じゃあ、今度ウチのゲームもやってもらいましょう!」とおっしゃってくださいました。シブサワ様と私は顔を見合わせて笑い出したのは言うまでもありません。すでに何作も私が作っていたからです。
普段、私は制作している方々とお目にかかれる機会が少なく、シブサワ様とも滅多にお会いできませんが、これからも素晴らしいゲームソフトをたくさん開発されることを期待いたします!
Zホールディングス株式会社/ヤフー株式会社
代表取締役社長
川邊 健太郎 様
小学校4年生の時に、いまは渋谷区議会議員になっている鈴木けんぽう氏の家に遊びに行った時にPC8800で初代の『信長の野望』をやりました。けんぽう君は次々に軍略を考えては近隣諸国を制圧していましたが、私は何が起きているかさっぱりわからず、、という状態でした。何度もやっていく中でパラメーターの意味や資源の分配が分かるようになり、シミュレーションゲームの魅力に最初に憑りつかれました。
その後、『信長の野望・全国版』が出されるに至り、今度は同級生の清水くんの家に入り浸り、PC9800で『信長の野望』や『三國志』をゴールデンウィークに3日間連続でプレーし続けたこともありました。小学~中学生の自分に「戦略的思考」や「部下も民も忠誠度が重要」ということを教えてくれたのはシブサワ・コウさんであり、それは間違いなく現在の経営者として事業戦略策定や組織開発を進める上での私の大きな背景になっています。
その後も、宋の正規軍がやたらに強い『水滸伝』、壮大なスケールの『蒼き狼と白き牝鹿』、続編が出ずに寂しい『項劉記』、日本全国追いかけっこゲームみたいだった『維新の嵐』など、学生~20代の頃の私をシブサワ・コウさんの作品は魅了し続けてくれました。
思えば、シブサワ・コウさんの40年は、現在47歳の私のゲーム人生とほぼ同期をなしており、そこから受けた影響は上記の通り多大ということで、同時代に生きられて、シブサワ・コウさんの作品を楽しみ続けられて本当に幸せです。これからも楽しく、そして人生において為になるゲームを作り続けてください!
菅野 よう子 様
シブサワ・コウさんは、私の曲を買ってくれた
たぶん初めての人です。
作家
『神の雫』『金田一少年の事件簿』『BLOODY MONDAY』などの原作者
樹林 伸 様
『襟川陽一さんとの思い出』
シブサワ・コウこと、襟川陽一さんとのお付き合いは長い。とあるゲーム会社の社長さんが毎年開いている花見の会が、始まりだったと記憶している。その後、個人的にお食事の席に呼んで頂くなどあり、お仕事(『零』シリーズ)でのお付き合いも含めて、かれこれ十数年になるだろうか。その中で、格別に記憶に残っているエピソードが一つある。襟川さんのご自宅に招かれた時のことだ。豪邸を拝見した後でワインをご一緒することになった。そこで振る舞って頂いたのが、彼の経営するヴィンヤードのものだった。中でもシャルドネがとても印象に残る素晴らしい出来で、大好きなアーティスト、エミール・ガレのグラスで味わったこともあり、まさに至福の時だった。そして、この時に聞かされたワインへのこだわりはまさに、ゲーム作家シブサワ・コウとしての作品へのこだわりと通じるものがあると感じた次第である。
陽一さん、40周年おめでとうございます。これからも、素晴らしいこだわりの作品を創り続けてください。ゲームも、そしてワインも。
株式会社KADOKAWA Game Linkage
週刊ファミ通編集長
嵯峨 寛子 様
シブサワ・コウさんのすごいところは、ゲームへの情熱をずっと持ち続け、ゲームプレイを欠かさないことだと思っています。週刊ファミ通の年末の恒例企画である“超流行りゲー大賞”(その年にハマったタイトルを、5本まで挙げていただくというもの)に毎年参加してくださっていますが、挙げられるタイトルもコメントも“ガチ”なものばかり。「お忙しいはずなのに、どうやってプレイ時間を捻出しているんだろう?」と首をひねるばかりです。私も、何歳になってもゲームをやり続けていたいな……と、シブサワさんを見るたびに思います。また、同じく情熱を持ち続けている奥様との関係にも憧れます。これからもおふたりで、ゲーム業界の最前線を走り続けていってください!
監督
佐藤 信介 様
CGによる映画を作りたい。映画のようなゲームを作りたい。そんなシブサワ・コウさんの思いを受けて、ゲームのムービー制作やシナリオ監修に携わらせていただきました。私が30代の頃、10年間近くの日々、さまざまなゲームタイトルに携わり、インゲームムービーや、シナリオなど、ゲーム制作のドラマ的側面、映像的側面からお仕事させていただきました。
シブサワ・コウさんは、お会いするたび、ドラマ的な感動、高揚感、世界観、そうした理想を常に訴えておられたのをとても印象深く覚えております。同時に活動していた映画業界の中では、当時、あまり聞かれなかった熱い言葉だったように思ったのも、対照的で面白かった。当時映画業界は、ゲームっぽい映画を作りたいという言葉をよく聞いたものでした。
2000年代、私は映画業界とゲーム業界という二つの業界で多くのものを得たように思います。その中でシブサワ・コウさんのあの透明で、明るい笑顔の中にほとばしる、決して絶えることのない熱さ、熱が、特に印象的に思い出されます。あの原動力が、今もコーエーテクモゲームスの絶え間なく拡大する世界を生み出し続けているのかと思うと、驚嘆いたします。
活動40周年、本当におめでとうございます。
株式会社AGRS 「信長の野望」シリーズ 織田信長役
杉田 智和 様
40年という歴史。PC版の「信長の野望」を触る従兄弟へ、大人の本気の遊びとはこういうものなのか?と、羨望の眼差しを送っていた少年はいつしか大人になり、織田信長のCVを担当するようになりました。
信長歴はまだ浅いですが、これからも続く大いなる歴史に関われる事は、自分の人生にとって揺るぎない財産です。心より感謝申し上げます。
株式会社マレ 電ファミニコゲーマー編集長
平 信一 様
40周年、本当におめでとうございます。
ふり返ってみれば、シブサワ・コウは、もっとも日本の若者や社会に影響を与えたゲームクリエイターの一人だと言える。『信長の野望』や『三國志』といった作品を通じて、歴史をそれこそ“小学生や中学生が楽しむもの”にしたことはもちろんだけれど、それ以上に、歴史上の人物をキャラクターとして捉えて、それを全面に押し出したゲームを世に送り出したことが、世間に与えた影響は計り知れない。
例えば、武将や歴史上の人物などを「パラメーター」で表現する、などというのは、それまでの小説や映像の歴史作品ではなかった、まったく新しい、ゲームならではの切り口だった。今では当たり前となっている、「こいつは武力99か。強い!」だとか、「知謀100は有能だな」みたいな感覚は、まさにゲーム世代以降の「歴史の捉え方」なのだ。
歴史や歴史上の人物というものを、物語としてだけではなく、強い弱い、便利などという”体感や体験を伴うもの”として認識させ、世の中に広めたパイオニア――それがシブサワ・コウなのである。
もちろん、シブサワ・コウが作ったゲーム以外でも、武将や兵器をパラメーター化はしていたかもしれない。しかし、歴史という題材を扱う中で、ことさら「人」に着目し、歴史を無機質なものではなく、壮大な人間ドラマとして捉えていたシブサワ・コウの着眼点が、『信長の野望』や『三國志』の大ヒットに繋がっていたことは間違いないだろう。
今後の益々のご活躍を期待しております。
株式会社青二プロダクション
「戦国無双」シリーズ 石田三成/柴田勝家役
竹本 英史 様
シブサワ・コウ先生、40周年おめでとうございます!
私とシブサワ・コウ作品との出会いは今から30年以上前になりますが、あの時の感動と衝撃は今でもはっきりと覚えています。あれは中学1年の夏、バスケ部の友人村上君の家での事。PC88を持っていた村上君は我らゲーム好き仲間のリーダーでした。ある日その村上君が遊ばせてくれたのが「信長の野望」。社会科が大の得意で小中と図書室にある歴史物の本を読み漁り、特に戦国時代が大好きだった私は、己が戦国大名となって天下統一を目指すというコンセプトに心躍りました。その日から村上君は上杉、竹林君は武田、私は織田、などと面子を変え、大名を変え、来る日も来る日も夏休み中遊び続けました。決して陥落することの無い越後マップに苦しみ且つ救われもした日々。村上君が居ても居なくても通い詰めた迷惑千万な日々。今思えばあれは私の人生を変えた夏でした。その後、中学生から家業の新聞配達を手伝いながら資金を貯め、高校生で憧れのPC98を手に入れた私は「信長の野望」は勿論、「三國志」「蒼き狼と白き牝鹿」「太閤立志伝」「維新の嵐」「大航海時代」「提督の決断」「水滸伝」「ウイニングポスト」とシブサワ・コウプロデュース作品のみならずコーエー作品を楽しみ続けたのでした。
ゲーム好きが高じ、私は声優になり、コーエー作品に関わりたいと願い続けた日々を経て、遂に『戦国無双2』に参加させて頂く事となりました。憧れのコーエー作品! しかも戦国時代! しかもなんと有名武将役! まさに私の声優人生の目標が叶った時でした。今にして思えば、石田三成役は私の運命を変えてくれました。石田三成役が私の声優活動、いや人生を幸せにしてくれたと毎日実感しています。石田三成を演じられた事は私の終生の誇りです。誇らしい人生を歩ませてくださったシブサワ・コウ先生、コーエーテクモゲームスにはいくら感謝してもしきれません。
この様にシブサワ・コウ先生の作り出した世界は私を始め、多くのファンの人生に多大な影響を与えてくれました。今まで本当にありがとうございます!そしてこれからも我々に新しい世界、楽しい感動を与え続けてくれる事を願っています。これからもよろしくお願いします!
先生! いつまでも若々しく格好良い、我らのカリスマでいてくださいね!
1ファンより
グリー株式会社 代表取締役会長兼社長
田中 良和 様
活動40周年おめでとうございます!
私が中学生の時に、学校のパソコンでやっていたのが、『信長の野望』17カ国版でした(笑)。その後も、パソコン版の『三國志』『水滸伝』『蒼き狼と白き牝鹿』『維新の嵐』『大航海時代』など高校時代以降も家で、シブサワ・コウのゲームを楽しんで育ってきました。
その後、社会人となり起業して、ゲーム開発の事業をしていますが、子供の頃にゲームの楽しさを体験し、ゲームを作りたいと思っていた気持ちが、今のモバイルゲーム事業に生きていると思います。そういう意味でも、私にも多大な人生への影響を与えていただき、大変感謝しております。
これからも、世界のシブサワ・コウのゲームを待っているファンに、ゲームを作り続けていただくことを楽しみにしています。
株式会社イクセル(Gamer) 編集統括
東軒 清隆 様
小学生の頃に友人と遊んだ『信長の野望・全国版』が私にとっての“シブサワ・コウ”との出会いです。学校の勉強では知ることのできない、全国の大名になって天下統一を目指すことがとにかく刺激的でした。当時はそのお名前を意識してはいなかったものの、私の中で確実にゲームにおける原体験の一つであり、そして歴史に興味を持ったきっかけでもあります。
その後も数多くのゲームを通じて、自分なりの大名人生を楽しむとともに、数多くの歴史上のドラマを味わうことができました。さらに近年では「仁王」という新ジャンルにも挑まれるなど、年を経ても今なおクリエイティブなその姿勢にただ驚くばかりです。
記念すべき年にこうしてコメントを寄せられることを大変嬉しく思います。40周年、誠におめでとうございます。
株式会社KADOKAWA Game Linkage
代表取締役社長
豊島 秀介 様
シブサワ・コウ様 クリエイター活動40周年、誠におめでとうございます。そして本当にありがとうございます! シブサワ・コウ製ゲームに初めて触れたのは初代『信長の野望』の時で、ハードは友人の家にあった富士通FM-7でした。カセットテープから10分以上のローディング時間を経てソフトが起動したときの興奮は今でも忘れられません。オワリ、ミノ、カイシナノ。。ハード性能もあったのか、国名表記はカタカナだったものの、プレイを通じて日本の旧地名がスルスルと頭の中に入り込んでいきました。インタラクティブなゲームという媒体によって、中学生当時の自分がどっぷりと歴史好き、そして歴史ゲーム好きになり、その後ゲーム業界へと吸い込まれていったのはシブサワ・コウ作品のおかげです。そんな当時から現在に至るまで、40年にわたりクリエイター業を続けている、もはやシブサワ・コウそのものが生ける歴史作品になっているといっても過言ではありません。実際に取材をさせていただいた際は、まさに歴史上の偉人にお会いしているような気分になりました。これからもますますの活躍、シブサワ歴史ファンとしても楽しみにしたいと思います。
株式会社インプレス GAME Watch編集部 編集長
中村 聖司 様
シブサワ・コウ様、40周年おめでとうございます。最後に直接お目に掛かったのは、中国上海、ChinaJoyの取材会場でしたが、中国メディアに囲まれながら、笑顔でサインに応じる様は、統率の高い「三國志」の名将を彷彿とさせるところがありました。代表作である「信長の野望」、「三國志」両シリーズは、プライベートでは初代から、お仕事としては「天翔記」「三國志Ⅲ」から担当させていただいており、もっともお付き合いの長いフランチャイズの1つです。その歴史的背景や武将、地名などは、両シリーズで学んだといっても過言ではなく、私の日々の活動の中に息づいています。40年で打ち止めとは言わず、これからも50年、60年と、歴史ファンを唸らせる娯楽作品を作り続けていただれけばと思います。今後のご活躍、引き続き楽しみにしております。
TYPE-MOON ライター
奈須 きのこ 様
シブサワ・コウ40周年、おめでとうございます。
中学生の頃、FCの『信長の野望』を夢中になってプレイした自分がこのようなコメントを贈らせて戴ける事、とても嬉しく、そして夢のように思います。ゲームメーカー『KOEI』(旧光栄)の名を知っていても襟川氏、そのアバターであるシブサワ・コウの名に覚えのないユーザーもいるかもしれません。というか、『光栄の社長』という役職から氏の本当の姿を誤認してしまうユーザーがほとんどではないでしょうか。
そりゃあゲームメーカー『光栄』の創立者であり、その誕生から今日までの躍進を行ってきた方ですから、その武将能力値は凄まじい値です。内政も外交も最大値。気がつけば国内最大手のゲーム開発力と販売力を有する一大国家になっているのも頷ける。ですが、もっとも恐ろしいのは社長であるシブサワ・コウ自身が、今も『ゲーム大好きなゲーム開発者』である事です。武勇値が100いっているのです!
進化を続ける『信長の野望』シリーズは言うに及ばず、ACTとして一大ジャンルを築いた『無双』シリーズ、ゲーム業界においてはじめて女性のために作られたSLG『アンジェリーク』シリーズ(こちらはルビーパーティーによるものですが、バックアップはシブサワさんの筈)、『コーエーテクモゲームス』になってからは社内で様々なゲームジャンルの開発を行い、近年では骨太のアクションとハクスラ系を融合させた『仁王』シリーズまで成功させた、まさに英傑です。
40年。技術の進歩、流行の転換の速度がめまぐるしいゲーム業界において、組織を育て、アンテナを張り、古きを捨てず、新しきを認め、そしてなにより面白いゲームに貪欲であり続けた。『シブサワ・コウ』とは、そのような『リアル信長みたいなゲーム開発者』なのです。どうかこの先も、その雄々しくも軽やかな足取りで僕らを魅了してくれますように。
ところで。『TYPE-MOON』といえば『Fate』、『Fate』と言えば『英雄の拡大解釈』ですけど。自分が知るかぎり、孔明にビームを撃たせた初のタイトルが『三國無双』なんですよ。発売された当時、『三国志の格闘ゲームだー!』と喜んで購入した後、ボスに孔明が出てきてビーム打ってきた時の衝撃は、間違いなく『Fate』の根幹にあると思います。今では英雄なら衝撃波くらいだすのが当たり前ですけど……あの頃、『信長の野望』を作ってる超硬派なメーカーが、まさか孔明にビーム撃たせるとか思うワケないじゃないですか……。
あと『仁王』で最初に遭遇するレアエネミーの名前が『シブサワ・コウ』なんですけど、容赦なくぶった斬ってレア武具いただきましたありがとうございます。
株式会社KADOKAWA 代表取締役社長
夏野 剛 様
シブサワ・コウさんはいつもニコニコしている。仕事の話のときも、食事をしているときも、奥さまがムチャ振りしても、いつもニコニコして、落ち着いた物腰で、サッとかわす。まさに紳士。稀代のクリエータがこんな紳士でいいんだろうか、と我が身を振り返って考える。とかくクリエータや経営者というものは、自分が崇高な目的に向かっていることを言い訳にして、わがままに振る舞うことを正当化するものだ。シブサワ・コウさんを見てると自分が恥ずかしくなる。あるとき、ご一緒してるときに、ケータイにメールが来た。「あ、ちょっとまずいな」と言いながら見せた真剣な眼差し。あ、こんな顔することがあるんだ、と思ったのもほんの一瞬。すぐまたにこやかなイケメン顔に戻り、奥さまに微笑みかける。天は二物も三物も与えるんだなあ、とひたすら羨ましく思う。
株式会社KADOKAWA Game Linkage
電撃ゲームメディア総編集長
西岡 美道 様
ゲーム制作40周年、誠におめでとうございます!
「シブサワ・コウ」ブランドのゲームは、自分の人生の行き先を示してくれたものでした。
あの当時、ゲーム黎明期の興奮……初代『信長の野望』や『三國志』、その後に続くコーエーの歴史SLGは、今までに見たことがないゲームでした。本当に夢中になって遊びました。パソコンは高価なものだったので、持っている友だちの家に集合して、みんなで、親御さんに怒られるまでほとんど毎日ずっと遊んでいました。そのときご馳走になった夕飯の献立まで覚えているぐらい鮮明に記憶に残っています(笑)。
そして、ゲームに関わる仕事をしたいと思いました。
現在、自分がゲームメディアで仕事ができているのも、シブサワ・コウさんの影響のおかげなのは間違いありません。
非常に驚くのは、あのときのシリーズがまだ続いていることです。続いているどころか比べものにならないぐらいに新しくなり、とんでもなく楽しくなっています。ゲーマーとして、こんなに嬉しいことはありません。人生とともに好きなゲームの進化を見届けられるなんて。
どうかこれからも、ゲームファンが嬉しくなってしまうようなゲームを作っていただければと思います。
楽しみにしております!
株式会社講談社 代表取締役社長
野間 省伸 様
今年で活動40周年を迎えられたとのこと、まずは心よりお慶び申し上げます。
シブサワ・コウといえば、「三國志」シリーズなど日本のゲームコンテンツを代表する数々の傑作を生み出し続けるプロデューサーであり、早くからグローバル展開を成功させた名企業家です。弊社とも縁は深く、「FAIRY TAIL」「進撃の巨人」などのゲーム化のみならず、「仁王」などシブサワ作品のコミカライズでもご一緒させていただいております。
プライベートにおいては、華麗なバンド公演にお招きいただいたり、ゴルフをご一緒させていただいたり、その好奇心の旺盛さには敬服しております。
是非また一緒にゴルフをしたいですね。
今後ともシブサワ・ワールドを創造し続け、日本のコンテンツビジネスの魅力を全世界に向けて発信し続けてください。
株式会社アトラス
クリエイティブプロデューサー兼ゲームディレクター
橋野 桂 様
創作活動40周年、おめでとうございます!
こうしてお祝いする日を迎えられたことに、僭越ながら、同じ業界に身を置かせてもらっている一人として感銘を受けております。何度かご挨拶をさせて頂いたことがあるだけの身なので恐縮ですが、真っすぐに光る眼差しが、いつも印象に残っています。
最も印象的だったのは、担当作(ペルソナ4)を熱心にプレイしてくれたことを伺った時です。そのこと自体にも驚いたのですが、それ以上に、たまたま伺わせてもらった感想がプレイヤーの方々の目線と非常に近いものだと感じ、その感性にも強い感銘を受けました。
ゲーム開発をしていると、プレイヤーとしての視点と現実の開発との折り合いをつけなければいけない局面にぶつかることがあります。その中で、プレイヤーの方々に如何に寄り添えるのか。それが良いゲームにできるかどうかを決める姿勢だと思っているのですが、偉大な功績を生み出し続けている方からは、まずはっきりとそれが伝わってくるものなんだな…と思いました。
当たり前のように自然体で、世界中のプレイヤーと同じ視点で一緒になって楽しみ、そして、だからこそと思えるような素晴らしいゲーム作品を生み出し続けていらっしゃる!
その類まれなる功績に改めての深い感銘と感謝を申し上げ、お祝いのメッセージとさせて頂きます。
株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス 理事
橋本 真司 様
まずは、40周年おめでとうございます。ゲーム業界黎明期からの大活躍お疲れ様です。シブサワさんのことですからまだまだ、現役続行されている姿は、後進の我々にとっても励みになります。
シブサワさんとの思い出は、なんといってもワイン談義が楽しいです。最近は、皆無ですが、パーティ、会食等でいくらでもワインを飲んでらっしゃる姿は素晴らしいですし、とにかく、飲めば飲むほど明るくなり、場のムードが盛り上がっていきます。良い大人になっていく姿を我々も見習いたいものですね。
もちろん、ワインだけでは無く、ご一緒させていただいたプロジェクトに対しても弊社スタッフを圧倒する情熱でゲームの展開を熱弁される姿がとても印象深かったです。同じエンターテインメントの業界で働く人間として先人の功績を勉強させていただきながら自分の仕事にも生かさせて頂きたいと存じます。
シブサワさんを見ているとクリエーターのエネルギーは年齢関係無いですね。生涯現役、これからもご健康に留意していただき益々のご活躍をお祈り申し上げます。
株式会社KADOKAWA
デジタルエンタテインメント担当シニアアドバイザー
浜村 弘一 様
40年前、まだ日本のゲームシーンには、海外から上陸してきた作品、それを模倣して作られた国産作品しか存在していませんでした。その黎明期、日本で初めてオリジナルな思考型ゲームを世に産みだしたのがシブサワ・コウでした。シブサワ・コウの歩んだ跡にやがて道ができ、そこから日本のオリジナルなゲーム文化が芽吹き始めました。いまや日本は世界に冠たる「ゲーム大国」の名を戴き、五輪の開幕式ではゲーム音楽が流されるほどになりました。世界中のゲームファンからリスペクトされる日本のゲームシーン。その礎を作ったのは、間違いなくシブサワ・コウでした。そして何より誇るべきは、そのシブサワ・コウが歴史の中に埋もれるのではなく、現役クリエーターとして、ゲームシーンの先頭を走っていることだと思います。願わくは、ぜひそのまま。後ろを走る世界中の幾多の後輩たちに、大きな背中を見せ続けて欲しいと、心から期待しています。シブサワ・コウ、40周年、心よりお祝いの言葉を贈らせてください。本当に、おめでとうございます。
株式会社コナミデジタルエンタテインメント
代表取締役社長
早川 英樹 様
クリエイター生活40周年、誠におめでとうございます。
直接お目にかかるときは、「襟川さん」とお呼びしていますが、ゲームユーザーとしては、以前からシブサワ・コウ氏の作品をたくさん遊んできましたので、1人のゲームファンとして、心からうれしく思います。
近年、プログラミング教育が必修化され、ゲームと教育の距離も近づきましたが、私を含む多くの人々が、日本の戦国時代や、中国の三国時代、そして大航海時代など、歴史に関わるさまざまな知識を得たのは、まさに光栄の歴史シミュレーションからでした。その意味で、シブサワ・コウ氏の生み出すコンテンツは、まさにゲームの教育活用の先駆けであり、その先進性と普遍性に、改めて敬服いたします。
また、最新作である『三國志 覇道』では、非常にエネルギッシュなプロモーションを随所で拝見しています。
40年という長い年月の間、クリエイターとしてトップを走り続けてこられたのは、フレッシュな感性とチャレンジ精神あふれるお人柄あってのことと思います。現役クリエイターとして、今なお新作タイトルの研究に余念がないとお聞きしていますが、お身体にも気をつけていただき、これからもシブサワ・コウの素晴らしい作品によって、デジタルエンタテインメント業界を一層盛り上げていただけることをお祈りしております。
株式会社KADOKAWA Game Linkage
ファミ通グループ代表
林 克彦 様
ゲーム業界のレジェンドで、いまなお多数の名作を世に送り出しているトップクリエイターでありながら、いつも物腰柔らかく、真摯に、笑顔で取材に応じてくださることにこの場を借りてお礼申し上げます。「このゲームにハマって数百時間プレイしてしまいました」や「あのラノベがおもしろいんです」など、ニコニコと話してくださるシブサワさんのファンは編集部にも多く、週刊ファミ通2017年10月26日発売号では、12ページにわたって「シブサワ・コウ特集」を企画・掲載したほどです。あのとき誌面で、シブサワさんの人生すごろくを作らせていただきました。ぜひ50周年の際には、最新版にバージョンアップさせてください。これから手がけられるであろう、まだ見ぬ新作も楽しみにしています。改めて、ゲームクリエイター40周年おめでとうございます!
漫画家
弘兼 憲史 様
シブサワ・コウさん、40周年おめでとうございます。シブサワさんは、その優しい人柄で皆から慕われ、アイデアマンで、他人のやっていない新しい分野に挑戦する素敵な方です…と、これは私の娘の感想です。私の娘は美大を卒業して10年近くコーエーテクモで仕事をしておりました。そんなご縁もあって、以前、吉祥寺の自宅に来ていただいて一緒にワイン🍷を飲んだことがあります。娘から聞いていた通りの方で、凄いクリエイターなのに腰が低くて気配りをされる立ち居振舞いに感動、私も見習わなければと反省したことを覚えています。これからも、世界をアッと言わせるようなゲームを創っていかれることを期待して止みません。
ドラゴンクエスト ゲームデザイナー
堀井 雄二 様
シブサワ・コウさん、40周年、本当に、おめでとうございます。
ボクとシブサワさんとの出会いは、約40年前、ボクが27歳の時、ゲームを通してでした。当時、はじめてマイコン(今でいうパソコン)を買ったボクは、マイコンでいろいろゲームを楽しみたくて、『信長の野望』というゲームを買ったのでした。とても面白いゲームで、はじめは普通に遊んでいましたが、ゲーム中にストップボタンを押して、リストと命令すると、今では考えられませんが、なんと!ベーシックのプログラムの全貌を見ることも、さらに書き換えることも出来たのでした!
「こ、これは……!」。マイコンを買ってベーシックというプログラム言語を習得していたボクは、『信長の野望』のプログラムを書き換えて遊ぶようになりました。たとえば、兵糧に困ったら出前が来るようにしたり、自分の国と遠くの国の生産量をいきなり大量にしてライバルモードと称して遊んでみたり。
もちろん自分だけが楽しむためだけのプログラムの書き換えですが、そうやって楽しむうちに、いろんな工夫や遊びを思いつくようになっていきました。このことが、後にドラゴンクエストを作るときに役にたったと言えるかもしれません。
その後、ボクもドラクエでゲームデザイナーとして世に出はじめましたが、じつはお互い存在を知りつつ、シブサワさんに会うことはありませんでした。
そして、はじめてシブサワさんに会ったのは、ドラクエを作ってから20数年後、ロスアンゼルスのE3だったと記憶しています。
「やっと、お会いできましたね。いやー探しましたよ」
ローレシアの王子とサマルトリアの王子が、はじめて会ったときのような台詞を思わず言ってしまいました。そして、その出会いがキッカケで、コーエーさんと組んでドラクエのヒーローズを開発したり、いろんな繋がりを持つようになりました。シブサワさん、これからも面白いゲームをいっぱいリリースしてください。
お互い、もういい歳になってしまいましたが、頑張ってゲーム業界を盛り上げていきましょう!!
株式会社ディー・エヌ・エー 代表取締役会長
南場 智子 様
40周年おめでとうございます。
DeNA初の協業ゲーム『100万人の信長の野望』は、「信長の野望」としても初のソーシャルゲームということで難しい課題がいくつもあり、現場の方々と切磋琢磨を重ねた記憶も新しいですが、一つひとつ丁寧に検討して、無事リリースを迎えられました。リリース2ヶ月後にはユーザー数100万人を突破。
想像を上回る反応があり日々注目していました。懐かしいです。そして『100万人の信長の野望』は今年12年目に入り、今でもなお多くのユーザーに遊んでいただけているのは、本当にありがたいです。コアファンを持つ御社ならではの結果だと思います。改めて「シブサワ・コウ」ブランドの歴史の1つとなる作品に関われたことを感謝いたします。
これからも素敵な作品とDelightを世界に届け続けてください。
株式会社イード
ゲーム事業部 部長/Game*Spark 編集長
宮崎 紘輔 様
40周年おめでとうございます。
1981年10月26日という日は、『川中島の合戦』が発売された記念すべき日であり、この作品が後の“歴史シミュレーションゲーム”の礎となったことは誰にも疑いの余地はないことでしょう。そんなゲーム史に名を刻む作品がリリースされてから6年……。東京・杉並に生を受けたのが何を隠そう私であります。
……という若輩者でありますから、私にとってシブサワ・コウという存在はどこか殿上人のような存在のように感じられ、直接お目にかかるまではさながら安土城の光り輝く天守に坐す織田信長のような印象をもっていました。これは先日キャリア40周年を迎えるにあたって掲載した記事にも織り込んでいますが、今の『川中島の合戦』より年下である30代以下のユーザーなどには同じような印象を持つ人も少ないかもしれません。とはいえ、実際にお話してみればとても柔和で、物腰柔らかく、意外な印象だったというのが正直なところです。
ちなみに、『川中島の合戦』のリリース日と誕生日が同じという奇縁もさることながら、もう一つ縁をご紹介しておきたいと思います。というのも、現在私はコロナ禍の影響もあり家族で栃木県は宇都宮に移住しております。栃木といえば足利。足利といえばシブサワ・コウであります。シブサワ・コウの足跡を追って……ということでもないのですが、ここにも勝手に縁を感じざるを得ません。もし、シブサワ・コウ記念館などが建てられるようであれば、足軽の如く現場に馳せ参じ、築城に汗を流したいと思いますのでご用命ください。
冗談はさておき、『信長の野望・新生』も控えておりますし、“ストーリーを重視した”にも注力していくということで、メディアの人間としても一プレイヤーとしても今後のシブサワ・コウ作品から目が離せません。新たな作品にも大いに期待をしながら、編集部と私の父親からも根強い要望がある『太閤立志伝』と『大航海時代』の新作が世に出されることを祈念いたしまして記念のコメントを締めくくりたいと思います。
任天堂株式会社 代表取締役フェロー
宮本 茂 様
シブサワ・コウさん、40周年おめでとうございます。
私は自己紹介するときは、いつも世界で最も古い現役のゲームデザイナーと言うのですが、実は襟川さんのほうがちょっと年上なんですよね。でも経験はほぼ同じなので勘弁してください。
今では同じような仕事をしている仲間ですが、始まりはお互い随分と違う環境でした。ハードが違うので、私はアーケードゲーム、襟川さんはPCゲームでしたね。その頃から『信長の野望』は注目のソフトで、いつも興味深く「耕す」などのコマンドはユニークだなと思ってました。
この30年間、ビデオゲームを遊ぶ環境は本当に変化してきました。直近では「ゼルダ無双」を一緒に開発するという、当時からは予想もできない時代の変化を一緒に見てきました。
ハードが進化して表現は変わっても、遊びの骨格は一番大事です。シブサワ・コウさんの流行りにのせられない、ぶれない姿勢のモノ作りにはいつも安心してご一緒できています。
デジタルは日常生活の一部となってきました。デジタル第一世代として、これからもお互いできる限り現役で世界に向けて魅力的な体験を生み出していきましょう。
がんばりましょう。
外務大臣
茂木 敏充 様
この度、襟川陽一会長の「シブサワ・コウ」としての活動が、40周年を迎えられたとのこと、心よりお祝い申し上げます。襟川会長は私にとって同郷、栃木県立足利高校の先輩で、私が衆議院議員に初当選時からご支援を頂いており、改めて感謝申し上げます。
「シブサワ・コウ」は、1981年に第一作目のゲーム「川中島の合戦」を発売以来、日本ゲーム産業の黎明期から数々の作品を世に送り出し、国内外で多くのファンに愛される大ヒット作品の「信長の野望」は15作目、「三國志」は14作目を迎えられました。私も外務大臣として様々な国々へ訪問しますが、クールジャパンと評される日本のゲームは、世界中の若者が羨望の眼差しで見ており、日本外交にとっても貴重なアセットです。これもクリエイター「シブサワ・コウ」が40年の長きに亘り作り上げてきた世界観の賜物と、心より敬意を表し、感謝いたします。
「シブサワ・コウ」の湧き溢れる想像力が、これからも世界中を魅了してくれることを期待し、お祝いのメッセージと致します。
株式会社ガンバリオン 代表取締役社長
山倉 千賀子 様
シブサワ・コウ様、40周年誠におめでとうございます。40年もの長い間、世界中のファンの皆様に愛されていらっしゃるのは、シブサワ・コウ様の時代を先取りしてきたゲーム制作の手腕の賜物と思います。このたびの40周年を心よりお喜びを申し上げます。
私とシブサワ・コウ様との出会いは、ゲームショップに勤めていた30年前。当時も「光栄さん」のゲームは発売日に安定して売れる事から、いったいどのようなゲームを作っているのか、と「信長の野望」を遊んだあの日。あまりの面白さに寝食をわすれ没頭し、その後は「三國志」に「大航海時代」・・・とシブサワ・コウブランドを片っ端から遊び倒し、新作が出れば必ず購入。大好きな歴史の世界が目の前に広がる喜びと新作の度に毎回新たな驚きと感動に魅了され、今でも発売日とその週末はあらかじめ時間を空けておき万全の構えです。・・・と、お祝いのメッセージが業界関係者ではなく、ただのファンになってしまいましたが、本望です。これからもシブサワ・コウ様の新作は一生買って遊び続けます!
足利市役所 市長
早川 尚秀 様
シブサワ・コウ40周年誠におめでとうございます。
奥様から誕生日にプレゼントされたパソコンで始めたシミュレーションゲーム作りをきっかけとして世界的な企業に成長された事は、足利市民の一人として誇らしく思います。
その第一弾『川中島の合戦』や『信長の野望』が足利市で生まれ、以降多くのゲームが開発され、世界中のファンに愛されている事は、足利市民の誇りです。
この度、株式会社コーエーテクモホールディングスと包括連携協定を提携させて頂きありがとうございます。今後、様々な事業を展開していくために、お力添えをよろしくお願いいたします!