文醜

文醜

ぶんしゅう
?年〜200年
顔良と並び、袁紹軍の双璧と呼ばれる猛将。汜水関の戦いには随軍しておらず、董卓軍の華雄に苦戦する袁紹は「顔良、文醜がいれば負けないものを」と嘆いた。界橋の戦いでは公孫瓚をあと一歩まで追いつめるが、趙雲に阻まれた。官渡の戦いの前哨戦で相方の顔良が関羽に斬られたことに怒り、仇討ちのために曹操軍を襲撃。延津[エンシン]で張遼徐晃らを撃退し、曹操軍の物資を奪うが、関羽に斬り殺された。