新たに参戦する/生まれ変わる 武将たち

「パワーアップキット」では『三國志13』本編の700人に加えて、新規に100人の武将を追加します。また、登録武将用に12点の武将CGを追加します。ここでは「パワーアップキット」で新規に加わる武将、戦闘用グラフィックが追加される武将、本編からグラフィックが変更される武将を紹介します。

新 規

趙 叡 ちょうえい

袁紹配下。官渡の戦いの際、淳于瓊とともに烏巣を守備したが、曹操軍の夜襲を受け部隊は壊滅。生け捕りにされ、斬られた。
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張 顗 ちょうぎ

袁尚配下。審配の守る鄴(ぎょう)城が曹操に攻められると、救援に向かったが大敗。曹操の捕虜となり、呂翔らの説得を受けて帰順、配下となった。
新 規

趙 儼 ちょうげん

字は伯然(はくぜん)。荊州に隠棲していたが、曹操が献帝を迎えて以降に仕官。統治、参謀両面に才を発揮した。曹丕の代には、呉に対する戦略軍師として全軍を補佐。
新 規

張 粛 ちょうしゅく

字は君矯(くんきょう)。劉璋配下。張松の兄。張松が劉備と内応して蜀を攻め取ろうとしていることを知り、自身に累がおよぶことを恐れて張松の裏切りを劉璋に密告した。
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張 先 ちょうせん

張繍配下。宛を取り戻した張繍の下に曹操軍が再来した際、張繍に従い雷叙(らいじょ)とともに南陽城外に出陣して曹操軍を迎撃。許褚と戦って、わずか3合で斬り捨てられた。
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張 羨 ちょうせん

劉表配下。強情だったことから劉表に嫌われていた。劉表が曹操と敵対すると、献帝を擁する曹操に味方すべきという桓階の進言を容れて自らは曹操と結び、劉表と敵対した。
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張 著 ちょうちょ

蜀の武将。劉備と曹操の漢中争奪戦で、黄忠の副将として登場する。魏軍に囲まれ、あわやというところで、救援に駆け付けた趙雲に命を救われた。
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張 南 ちょうなん

字は文進(ぶんしん)。蜀の武将。関羽死後の荊州奪還戦に副将として従軍。緒戦で呉班、馮習(ふうしゅう)とともに夷陵城を包囲。しかし、陸遜と孫桓の挟撃で戦死した。

張 苞 ちょうほう

張飛の長男。関興の義兄。父が部下の范彊・張達に殺され、范彊らが呉に逃げ込むと、劉備の指揮下に入り、討伐軍に加わる。呉から送り返された范彊らを斬って父の仇を討つ。

陳 宮 ちんきゅう

字は公台(こうだい)。後漢の中牟県令。董卓の暗殺に失敗した曹操に同行するが、曹操の非情さに呆れ決別する。後に呂布の謀臣となるが敗北して捕らえられ、自ら処刑を望んだ。
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陳 就 ちんしゅう

江夏太守・黄祖配下。孫権が黄祖を攻めた際、鄧龍(とうりゅう)とともに先鋒として迎撃に出たが、呂蒙によって討ち取られた。

程 昱 ていいく

字は仲徳(ちゅうとく)。曹操の参謀。赤壁の戦いでは火攻めを警戒するよう曹操に進言し、黄蓋の偽りの投降をいち早く見抜くが、敗戦を食い止められなかった。
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鄭 度 ていど

劉璋配下。劉備が成都に軍を進めたため、劉璋は軍議を開催する。鄭度は作物や穀倉を焼き払い、守りを固めて劉備軍の兵糧が尽きるのを待つ策を進言。しかし劉璋に一蹴された。
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董 璜 とうこう

董卓の甥。董卓のとりたてで侍中・中軍校尉となる。董卓の死後、王允の命を受けた呂布、皇甫嵩らによって郿(び)城を攻められ、一族とともに殺された。
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董 衡 とうこう

曹操配下。樊(はん)城の戦いにおいて、于禁の指揮下で援軍を率いた将のひとり。関羽の水攻めで劣勢に立たされ降伏を勧めるが、怒った龐徳に斬られてしまう。

唐 彬 とうひん

新 規
字は儒宗(じゅそう)。晋の広武将軍。279年、晋が呉討伐戦を起こすと、龍驤将軍・王濬(おうしゅん)とともに水陸20余万の兵を率い、旧蜀領から長江沿いに進軍した。
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鄧 龍 とうりゅう

江夏太守・黄祖配下。孫権が黄祖を攻めた際、陳就(ちんしゅう)とともに先鋒として迎撃に出たが、甘寧によって討ち取られた。
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杜 襲 としゅう

字は子緒(ししょ)。魏の武将。優れた政治手腕で頭角を現し、重臣に取り立てられる。演義では定軍山の戦いで夏侯淵が敗死した後、張郃とともに敗残兵を退却させている。
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甯 随 ねいずい

姜維の副将。263年、魏の諸葛緒に退路を断たれ、進退窮まった姜維に策を進言。策に従った蜀軍は雍州を攻撃して諸葛緒を誘導し、剣閣に退いた。
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馬日磾 ばじつてい

字は翁叔(おうしょく)。後漢の官僚。董卓の死を嘆く蔡邕(さいゆう)を王允が責めた際、蔡邕の才を惜しみ助命を求める。助命は拒否され、王允の世が短命であると予言した。

馬 岱 ばたい

馬超の従兄弟。馬超が曹操に復讐戦を挑むと従軍し、各地を転戦。最後は馬超とともに劉備の配下となる。その後は諸葛亮の南蛮遠征や北伐に加わった。
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馬 忠 ばちゅう

呉の武将。荊州進攻戦で関羽父子を捕縛。劉備が関羽の復讐戦を起こすと迎撃に赴き、黄忠を撃退するなど活躍するが、降将の糜芳らに寝首をかかれ、関羽の霊前に供えられた。

龐 統 ほうとう

字は士元(しげん)。諸葛亮の臥龍(がりょう)に対し、鳳雛(ほうすう)と称せられた。赤壁の戦いでは魏軍の船同士を鎖でつなぐ“連環の計”を用い、周瑜の火計を成功させた。
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孟 光 もうこう

字は孝裕(こうゆう)。蜀の官僚。劉焉、劉璋に仕えたあと、劉備に仕えて議郎に任じられる。博学で漢王朝の古い制度に詳しく、宮中制度の制定を担当した。

羊 祜 ようこ

字は叔子(しゅくし)。晋の武将。襄陽に駐屯して呉の陸抗と対抗、互いの才覚を認め合う。陸抗が病気の際には薬を送ったとの逸話も。陸抗との交ぎは羊陸之交という成語となった。
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楊 洪 ようこう

字は季休(ききゅう)。はじめは劉璋に仕えていたが、劉備の入蜀に際し、蜀の文官に雇用された。後に重臣のひとりとして諸葛亮に協力し、劉備の皇帝即位に尽力している。
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楊 彪 ようひょう

字は文先(ぶんせん)。楊修の父。後漢の官僚。董卓の死後、李傕・郭汜を排除するべく、郭汜の妻の嫉妬を利用してふたりの離間を謀るも失敗。献帝を奉じて長安から逃れた。
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楊 密 ようみつ

郭汜の部下。身分は中郎将。楊彪(ようひょう)が李傕と郭汜のふたりを批判したため、斬られそうになる。しかし、楊密や他の側近たちが諫止したため、その場は収まった。
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雷 叙 らいじょ

張繍配下。宛を取り戻した張繍の下に曹操軍が再来した際、張繍に従い張先とともに南陽城外に出陣して曹操軍を迎撃したが、許褚に蹴散らされて敗退した。

陸 抗 りくこう

字は幼節(ようせつ)。 陸遜の次男。孫休の代に鎮東大将軍となり、荊州戦線の軍事を一任される。後に晋への内通の疑いがかかり、軍権を奪われ降格された。
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李 孚 りふ

字は子憲(しけん)。袁尚の幕僚。曹操に鄴(ぎょう)を包囲されたとき、領民を城の外に出して油断させ、内外から曹操軍を挟み撃ちにする策を立てた。後に曹操に仕える。
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李 輔 りほ

魏の武将。孟達の部下。蜀に寝返ろうとする孟達を裏切り、司馬懿と通じて孟達を城から締め出した。後に鍾会の下で蜀征伐に参戦した。
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李 豊 りほう

蜀の武将で李厳の子。魏に降った孟達との連絡役を務めた。231年、父が諸葛亮の遠征を失敗させた罪で失脚。代わりに長史に任ぜられた。
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李 豊 りほう

字は安国(あんこく)。魏の中書令。254年、曹芳に召集され、夏侯玄、張緝とともに司馬師を討伐する策を練る。しかし、曹芳の密詔を司馬師に発見され、一族皆殺しにされた。
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劉 和 りゅうか

後漢の幽州牧・劉虞(りゅうぐ)の子。東海恭王・劉彊(りゅうきょう、後漢光武帝の子)の末裔。侍中として献帝に仕える。袁術に捕らわれ、献帝救援のための兵を奪われた。
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柳 毅 りゅうき

遼東太守・公孫度に重用された官吏のひとり。中原の混乱を耳にした公孫度は、柳毅へ天下への野望を語った。後に営州に駐留するが、曹操の命を受けた張遼に討伐される。
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劉 璿 りゅうせん

字は文衡(ぶんこう)。劉禅の長男。劉諶(りゅうしん)の兄。母は王氏。蜀が魏に降伏した後、成都で独立しようとした鍾会の反乱に巻き込まれ、魏の兵士に殺された。
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呂 義 りょぎ

劉璋配下だったが、劉備入蜀後は定遠将軍、漢中太守として蜀に仕える。後に諸葛亮が起こした北伐に参加し、李恢(りかい)の副将を務めた。正史での名は呂乂(りょがい)。

魯 粛 ろしゅく

字は子敬(しけい)。元は裕福な家の出で、周瑜の推挙で孫権に仕官する。赤壁の戦いでは降伏派が多い中、周瑜とともに主戦論を唱え、劉備軍との同盟を成功させた。
※画面は開発中のWindows®版のものです。

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