1日目 山内一豊の紹介状
2日目 指南役の紹介状
3日目 松花
4日目 特感状・シーズン15
5日目 技能指南役の紹介状
6日目 山内一豊の紹介状
7日目 指南役の紹介状
8日目 大釘後立兜
9日目 覚醒指南役の紹介状
10日目 技能指南役の紹介状
11日目 編制拡大書
12日目 童子切安綱
13日目 覚醒指南役の紹介状
14日目 指南役の紹介状
15日目 行動力拡大書改
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![]() 江戸幕府の創始者。桶狭間の合戦後に自立し、豊臣家への従属を経て勢力を拡大。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。 |
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![]() 豊臣家・五奉行の1人。その手腕を「無双の才覚」と讃えられた。秀吉死後、西軍の総大将として徳川家康との関ヶ原合戦に臨んだ。 |
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![]() 豊臣秀吉子飼いの勇将にして、賤ヶ岳七本槍の筆頭。石田三成と衝突し、関ヶ原合戦では東軍の主力として奮戦。戦後、安芸広島49万石を得る。 |
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![]() 金吾中納言。豊臣秀吉の命により小早川隆景の養子となる。関ヶ原合戦では東軍に寝返り、東軍勝利に大きく貢献した。 |
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![]() 三国志の関羽に憧れて髭を伸ばしており、「髭殿」と呼ばれた。機を計って主家・南部家から独立すると、17年かけて津軽を統一した。 |
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![]() 幼いころ病で右目を失い、独眼竜と呼ばれた。片倉小十郎、伊達成実らと共に東北に勢力を広げ、天下への野望を燃やし続けた。 |
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![]() 養父・謙信の死後、御館の乱に勝利して家督を継いだ。家臣が丸一日声を聞かなかった日もあるほど寡黙であったという。 |
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![]() 鬼と呼ばれた父に劣らぬ剛将。趨勢の見えた関が原でも東軍に味方せず、秋田への転封も甘んじて受けた、天下一の律義者。 |
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![]() 早雲に始まる後北条家の四代当主。優秀な弟たちや家臣団に支えられ、北条家の地位を不動のものにした。 |
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![]() 「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された知謀の将。信之、幸村の父。居城・上田城にて二度に渡って徳川の大軍を翻弄、恐れられた。 |
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![]() 信玄の四男。当初は諏訪氏を継いだため、諏訪四郎と呼ばれた。家督の相続後、強硬策をもって領国を広げた勇将。 |
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![]() 天下布武(武力により天下を統一する)印の通り、戦国の覇者となる。明智光秀による本能寺の変により、炎の中に消えた。 |
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![]() 加賀百万石の祖。信長の小姓から手柄を重ね、愛妻まつにも支えられ、秀吉政権下では五大老に。甥の慶次は有名な傾奇者。 |
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![]() 義に厚く、豊臣秀吉も一目置いた名将。関ヶ原合戦では、親友・石田三成のために病をおして奮戦、藤堂高虎の軍を撃退する。 |
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![]() 名門・細川家の出自にして、当代一流の文化人、当代屈指の戦上手として知られる。冷静にして激しやすい性格で、妻を愛してやまない。 |
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![]() 豊臣秀吉に寵愛され、若くして五大老となる。内乱で多くの重臣を失うが、関ヶ原合戦では西軍最大の兵力で奮戦する。 |
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![]() 安芸の戦国大名。祖父・元就の死後、家督を継ぐ。中国地方における毛利家の勢力を拡大する。関ヶ原合戦では西軍の総大将を務めた。 |
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![]() 幼いころは色白で優しげな「姫若子」だったが、見事な初陣を飾り「鬼若子」となる。四国を制覇し「土佐の出来人」と呼ばれた。 |
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![]() 号は如水。豊臣秀吉の参謀として、その天下統一に大きく貢献した。秀吉は、自身の死後に天下を取るのは官兵衛だと評価し、恐れていたという。 |
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![]() 島津四兄弟の次男。島津家を隆盛に導いた家中随一の猛将。関ヶ原合戦では家康の本陣近くを敵中突破して「鬼島津」の名を高めた。 |