シブサワ・コウ35周年記念 あなたの“三國志愛”で赤壁へ行こう! 三國志PR大使キャンペーン



ユーザーの皆様から選ばれた「三國志」PR大使のお2人が、日本春秋旅行様主催の三国志ツアー「三国志の史跡を巡る旅」に参加! 赤壁や古隆中をはじめとした、悠久の物語ゆかりの風景を4泊5日で巡っていただきました。
「三國志」を愛してやまない2人の、大興奮の旅の模様を写真とともにお届けいたします!

PR大使
傘重ねさん
姜維と張嶷が好きな大学生。
初めてプレイした「三國志」は『三國志DS 3』。
PR大使
呉好きさん
周瑜を愛してやまない会社員。
初めてプレイした「三國志」は『三國志Ⅱ』。



旅の記録 出発
成田空港発
8:37
PR大使 傘重ねさん
武漢天河国際空港着
12:05

私たちの旅の始まりとなった武漢は中国第五位の人口を擁する大都市で、三国の時代においては「武昌」と呼ばれていました。空は厚い雲に覆われていましたが暖かく、遠くの景色は霞んでいました。
空港からバスに乗り最初の目的地の荊州市に向かうと、そこで中国の広大さがバスの車窓から伝わってきました。地平線まで視線を遮るものがなく、霞んだ景色はまるで別世界のようでした。日本では見られない景色を前に、三国志の広大な世界をありありと感じました。

昼食
13:20
バスで荊州まで移動
14:10
荊州ホテル着
17:40
PR大使 呉好きさん
渡邉義浩教授の三国志講座
19:30

夜は、このツアーを監修した渡邉義浩教授の三国志講座が開催されました。
渡邉先生は映画『レッドクリフ』の日本語字幕の監修等もされており、自分の中では三国志界全般の先生という印象で、どのようなお話が聞けるのかワクワクしておりました。
先生は大の孔明フリークだということで、後半部分はほとんど孔明の話に。特に忠義の部分に着目し、南宋の朱子(朱子学を形成した人)も諸葛亮に影響を受けた人物として紹介していました。朱子は「義によって国を治めた人物」として諸葛亮を賛美したとのことでした。
「赤壁の戦い」についてもお話がありました。一大勢力となった曹操を退けたとされ、天下の大戦と言われていますが、先生のお話では、曹操の油断や慣れない水戦や寒冷化も原因の一つとして挙げておられました。

ホテル出発
9:00
PR大使 傘重ねさん
関羽公園
09:30

予定にはなかったですが、関羽公園の関羽像を見に行きました。関羽像は全高58mもあり、周囲に何もないことも相まって大迫力でした。
こんな関羽像が建てられたのも、荊州は関羽が駐屯した関羽ゆかりの地であるためです。

PR大使 呉好きさん
荊州古城
10:20

古くからほとんどそのままだという荊州古城は、壁が本当に頑丈に出来ていて改築しているのでしょうが、古くからあるとは信じられませんでした。城壁は果てしなく続いており、せめて角までは歩こうと思ったのですが、時間がなく断念したほどです。
東門ということだったので、昔この場所で曹仁は周瑜軍を見据えたりしたのでしょうか。そう考えると感慨深いものがありました。

PR大使 傘重ねさん
荊州博物館
11:00

前漢時代に亡くなった遂という人物のミイラを目にすることができました。このミイラは五体満足、内臓も筋肉も残っているというもので死因も胃潰瘍というところまで判明していました。高位の人物であったため丁重に死体を処理され葬られたがために、博物館に展示された遂。彼に意識があれば、何を思ったのか。そう思うのもまた楽しいものです。

昼食
12:15
PR大使 傘重ねさん
関帝廟
13:15

荊州が関羽ゆかりの地であるため、ここには世界中のチャイナタウンにある関羽を祭る関帝廟ももちろんありました。商売の神として祀られる関羽の左右には、従者として周倉・関平がおり、参拝者をじっと威圧しているようでした。

バスで襄陽まで移動
13:50
襄陽ホテル着
17:20
ホテル出発
9:00
PR大使 お二人
古隆中(傘重ね)
9:20

諸葛亮が隠遁し、劉備が三顧の礼を行ったとされる古隆中。当日は一日目の武漢での温かさが嘘のように寒く、雪になる寸前のような冷たい雨が降っていました。身に染みる寒さの中、私は三顧の礼を古隆中の地に思い浮かべていました。雪が積もる寒空の下、劉備玄徳は三度この地を訪れた。それが私の中の三顧の礼のイメージです。
諸葛亮が耕した畑、劉備が渡った小橋。私が一番、三国志の地の来たという実感が沸いた場所でした。


古隆中(呉好き)

孔明はこの地で学問に励みつつ何を考えていたのでしょうか。きっと彼には多くの時間があったはずで、この地で田畑を耕しつつ友人達とでも学問に励みながら自由に意見交換をしていたのではないかと思いました。
この何もない田舎で多くの時間の中で何物にも拘束されず自由に意見交換をする中で「天下三分の計」が出来たのではないでしょうか。この地に来て、孔明を含む当時の人々がどのような生活をして、孔明が何を思っていたのかが、少しだけわかったような気がします。

昼食
11:15
バスで岳陽まで移動
12:15
岳陽ホテル着
17:55
ホテル出発
9:00
PR大使 傘重ねさん
岳陽楼
9:10

岳陽楼は江南の三大名楼の一つとして知られています。この岳陽楼も、もとは魯粛が水軍の訓練のために建てたものが始まりということで、その後孟浩然や李白といった詩人によって知られていったのです。岳陽楼からは洞庭湖が一望でき、より高い位置から見た洞庭湖にはいくつも船が浮かびながら水面は覆われることなく水平線まで広がっていました。

PR大使 呉好きさん
小喬の墓
9:25

岳陽楼を越えて奥まで歩くと、呉の周瑜夫人であった小喬に関連するものが多く出てきました。どうやら奥には小喬の墓があるという事でした、何故小喬?大喬は?と思いましたが、どうやらここ湖南省は中国では美人の産地として有名らしく、それがあってということですが……。

バスで赤壁まで移動
10:35
赤壁ホテル着・昼食
13:10
PR大使 呉好きさん
赤壁公園
14:10

赤壁古戦場自体が大きなテーマパークとなっておりました。赤壁に関連するものだけではなく、呂布と貂蝉の銅像、長坂の張飛等、様々な像が配置されていました。ロボット化した巨大な関羽には驚かされました。
憧れの赤壁で嬉しさもあり、赤壁の文字の真下まで降りて写真を撮りました。大きく「赤壁」と書いてある文字の隣に薄く「赤」と見えるのが所謂「周瑜が書いた」と言われている文字とのことです。
赤壁の文字の前方にあるのは烏林(曹操軍が駐屯していた場所)になるのですが、想像よりも対岸が近く、この距離感でここに数十万の兵士が駐屯していて、篝火や船が並んでいたのかと思うと、それは凄まじい光景だったことかと思います。(というか攻め込んだらすぐに対岸に到着するような気がします)こんな間近に大軍を感じながらの諸将や兵士の胸中はどのようなものだったのでしょうか。

ホテル出発
8:15
武漢にて昼食
11:55
武漢天河国際空港着
13:30
成田空港着
19:25
旅の記録 終了
旅をおえて

実際に中国に行くと、三国志の扱いの小ささに驚きました。現地の人は読み物としての三国志は知っているものの、歴史としては日本人のほうが詳しいそうです。当然と言えば当然でしょうか。漢が乱れ、三国が立ち、晋が統一した後に待っていたのは長い戦乱の世でした。英雄たちの願う漢の再興、天下統一という夢は尽く破れていったのです。ですがその儚さ、諸行無常こそ三国志、ひいては歴史の魅力だと思います。彼らが滅びたからこそ、今がありこうして思いを馳せることができる。その思いを一層強く感じた旅行でした。
PR大使 傘重ね


幼少の頃より三国志が大好きでいつかは三国志のゆかりの地に行ってみたいと思っていた中、思わぬ所で夢を叶えていただきました。
しかも三国志の中でも一番行きたかった場所に行けたということで、良い意味で今後の目標を失いました。
満足とかそんな言葉で言い切れないほどの体験ができたと思いますし、それは他のツアー参加者も同じだったように思います。いつかまたツアーがあるときは是非参加したいと思いました。ありがとうございました。
PR大使 呉好き

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