魏延
ぎ え ん
字:
文長
ぶんちょう
?年〜234年
劉備
軍が南荊州に侵攻した時、太守の韓玄を斬って長沙を明け渡した。反骨の相があり斬るべきだと
諸葛亮
から指摘されるが、劉備に許され戦陣に加わる。益州侵攻戦では
黄忠
と功を争い、漢中攻防戦では
曹操
を射るなど活躍。その後も諸葛亮の南蛮征圧、北伐に従軍。蜀軍の主力となるが、北伐の進路を巡って諸葛亮と衝突。諸葛亮の死後、楊儀と対立して反乱を起こし、
馬岱
に斬られた。
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