司馬懿
179年~251年
荊州の関羽が襄陽を攻撃した際、孫権と同盟して関羽を攻める策を献じた。
曹丕の信任を受け、曹叡の代には雍州と涼州の軍事を統括。諸葛亮と馬謖の計略で謀反を疑われ、一度は職を解かれるが、諸葛亮が北伐を始めると復職。以後、諸葛亮が五丈原で陣没するまで、蜀軍を防ぎきった。
諸葛亮
181年~234年
幼い頃、叔父の諸葛玄の庇護を受けて育ち、後に司馬徽の門に入って「伏龍」と呼ばれる。
劉備に三顧の礼で招かれると、孫権軍を動かし、赤壁の戦いで曹操軍を破った。自らの天下三分の計に従い、劉備に荊州南部と益州を制覇させて蜀を建国させる。