姜維
趙雲

きょう い

姜維

字:

はくやく

伯約

ちょううん

趙雲

字:

しりゅう

子龍

姜維と趙雲
引分

姜維の鋭い槍さばきに、さすがの趙雲も舌を巻く。それでも互角に打ち合っているところへ魏軍の援軍が現れ包囲されてしまう。趙雲は血路を開きなんとか危機を脱するのだった。
 

諸葛亮の策に従い天水を攻めた蜀軍の趙雲。だが、魏軍の若武者・姜維は、その策を逆手にとり趙雲を危機に陥れる。その勝敗の行方は…
対決!
姜維
206年〜264年
魏の天水太守・馬遵の配下。第1次北伐で蜀軍を迎撃し、一度は諸葛亮を破るが諸葛亮の策にはまって蜀軍に投降。以後は蜀将として諸葛亮の北伐に参加し、諸葛亮臨終の際に兵法を伝授された。諸葛亮の死後、大将軍となって北伐を指揮。鍾会と鄧艾が蜀に攻め寄せた際、剣閣に籠もって抵抗するが、先に降った劉禅の命で降伏。蜀再興を志して鍾会と挙兵するが、敗死した。
趙雲
?年〜228年
劉備に請われて公孫瓚に仕えるが、公孫瓚が滅びると劉備に仕えた。長坂の戦いで単身、曹操軍に斬り込み甘氏と阿斗(劉禅)を救出。漢中攻防戦では一騎で曹操軍の進軍を止め、「子龍は一身これ胆」と称された。街亭の敗戦でも、趙雲の部隊だけは1兵も損なわず撤退に成功する。他にも蜀攻略戦、南蛮平定戦など諸葛亮の遠征には常に同行し、劉備や諸葛亮から信頼された。