劉備
陸遜

りゅうび

劉備

字:

げんとく

玄徳

りくそん

陸遜

字:

はくげん

伯言

夷陵の戦い
勝者:陸遜

蜀軍にゆるみが出て防御も怠りがちになるのを見た陸遜は反撃を開始。東南の風が吹くのにあわせて蜀軍の陣営に火を放ち総攻撃をかける。蜀軍は大混乱に陥り壊滅。絶体絶命の劉備は、趙雲の助けで辛くも白帝城へ逃げ延びるのだった。

関羽の弔い合戦のため呉に攻め込む蜀軍。それに対する呉軍は若き陸遜を大都督に抜擢して迎え撃つ。その勝敗の行方は…
対決!
劉備
161年〜223年
漢の中山靖王・劉勝の子孫。桃園の誓いで関羽、張飛と義兄弟となり、黄巾賊や董卓の討伐戦で活躍。徐州牧・陶謙から請われ地位を譲り受けるが、呂布に奪われ曹操を頼った。献帝から皇叔の呼び名を賜り、曹操暗殺計画に参画するも露見。袁紹や劉表を頼って落ち延びた。三顧の礼で諸葛亮を迎えた後は、荊州益州を支配する一大勢力圏を築く。
陸遜
183年〜245年
「呉の四姓」陸家の出。年少の又従兄弟・陸績に代わり一族を率いる。孫策の死後、孫権の幕下に招かれる。219年、へりくだった書状を送って関羽を油断させ、呂蒙の荊州攻略を支援した。石亭の戦いでは曹休を大破し、呉の大黒柱となる。