孫権
張昭

そんけん

孫権

字:

ちゅうぼう

仲謀

ちょうしょう

張昭

字:

し ふ

子布

孫権と呉のご意見番
勝者:張昭

自分の意見を無視した孫権に怒って引きこもった張昭。門を土でふさいだり、孫権が張昭の家に火を放ったりと大喧嘩の末、孫権が謝罪することで決着した。君主に謝罪させた張昭の勝利。
 

君主である孫権相手でも遠慮なく自分の考えを主張する張昭。孫権は張昭を口うるさくわずらわしいと思いながらもご意見番として信頼していた。この2人が喧嘩をしたら、どちらが勝つのだろうか…
対決!
孫権
182年〜252年
若くして兄・孫策の後を継ぎ、江東を支配。208年、父の仇だった黄祖を討ち、劉備と結んで赤壁の戦いで曹操を撃退。以後、合肥[ガッピ]で曹操軍と戦うが、荊州を巡り劉備との対立が表面化。今度は曹操と結んで劉備の義弟・関羽を討ち、関羽の復讐戦を挑んできた劉備も夷陵の戦いで大破して荊州を支配した。
張昭
156年〜236年
呉の幕僚。張紘と共に「二張」と称された策士。孫策が江東に進出する前、周瑜の勧めで張紘と一緒に招かれた。孫策の死期が迫ると、後継者の孫権を内政面で補佐するよう遺言される。赤壁の戦いでは曹操への降伏を主張。孫権と同盟を結んで曹操と対抗しようとする諸葛亮を、論戦で説き伏せようとして失敗した。以後も呉の元老として孫権を補佐し続けた。