呂蒙
蒋欽

りょもう

呂蒙

字:

し め い

子明

しょうきん

蒋欽

字:

こうえき

公奕

2人の国士
勝者:呂蒙

「呉下の阿蒙に非ず」と称した魯粛に「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」と言えるほどの知恵者になった呂蒙の勝利。
 

聡明だが教養に乏しい呂蒙と蒋欽は、孫権から勉学に励むよう命じられる。2人は勉学に励み「その行いは人々の模範となり、国士である」と賛嘆された。成人してから勉学に励んだこの2人、どちらが賢いのか…
対決!
呂蒙
178年〜219年
呉の武将。孫策の死後、孫権に仕える。赤壁の戦い、南郡攻略戦に参加した後、濡須口に出城を築くよう進言。合肥[ガッピ]で呉軍が大敗した時、この出城が役に立つ。219年、陸遜の計略に従い、関羽を油断させて荊州を攻略。関羽を討つが、間もなく関羽の霊にたたられ、死んだ。
蒋欽
?年〜219年
呉の武将。元は揚子江の江賊。孫策が江東に進出した際、同じ江賊の周泰と共に孫策の配下となる。孫策の死後は孫権に仕えた。周瑜の指揮下で赤壁の戦い、南郡攻略戦に参加し、孫権が合肥[ガッピ]を攻めた際は後詰めを務めた。呂蒙による荊州攻略戦にも参加し、包囲した関羽に降伏を勧めた。