劉封
曹彰

りゅうほう

劉封

そうしょう

曹彰

字:

し ぶ ん

子文

劉封と黄鬚児
勝者:曹彰

 
たった三合打ち合っただけで劉封は逃走。曹彰の勝利。
 

劉備の養子・劉封と曹操の三男・曹彰。互いに英雄を父にもつ2人が斜谷の地で対決する。その勝敗の行方は…
対決!
劉封
?年〜220年
劉備の養子。徐庶の知略で曹仁を破った劉備が樊城に入った時、気に入られ養子となる。博望坡の戦い、益州進攻戦、漢中攻防戦で活躍。漢中平定後、孟達、王平と共に上庸を攻略する。その後、麦城で孤立した関羽から援軍を求められるが、孟達の勧めもあって拒否。これが関羽の死の一因となり、劉備に恨まれる。220年、魏に降った孟達を攻めるが大敗。成都に帰還後、処刑された。
曹彰
?年〜223年
曹操の三男。母は卞氏。曹丕の弟。曹植の兄。武芸に秀で、素手で猛獣を倒した。ひげが黄色かったことから、「黄鬚児[コウシュジ]」と曹操に呼ばれた。代郡で反乱を起こした烏丸を平定した後、劉備軍との漢中攻防戦に参加。劉備軍の呉蘭を討ち取るが、戦況は変わらず、結局、曹操軍は漢中から撤退した。曹操の死後、大軍を率いて上京するが、賈逵に説得され、兵権を返上して領地に戻った。