張遼
凌統

ちょうりょう

張遼

字:

ぶんえん

文遠

りょうとう

凌統

字:

こうせき

公績

張遼と凌統
引分

 
五十合打ち合っても勝負がつかず、孫権軍の呂蒙が加勢に入ったため引き分ける。
 

濡須口で激突する曹操軍と孫権軍。孫権軍の凌統は曹操軍の出鼻をくじこうと出陣する。曹操軍の先鋒・張遼がそれに立ち向かう。その勝敗の行方は…
対決!
張遼
169年〜224年
呂布の武将。後に曹操に仕える。呂布が下邳で敗死した時に捕らえられ、劉備と関羽の勧めで曹操に登用される。曹操軍が関羽を下邳に包囲した時は関羽に降伏を説いた。官渡の戦いの後、烏丸討伐を指揮し、白狼山で蹋頓[トウトン]を討つ。赤壁の戦い後は合肥[ガッピ]に入り、魏呉国境を守る。215年、李典、楽進と共に逍遥津[ショウヨウシン]で孫権軍を大破し、その名を聞けば泣く子も黙ると恐れられた。
凌統
189年〜237年
呉の武将。15歳の時、黄祖との戦いで父・凌操が甘寧に射殺され、死力を尽くして遺体を収容した。208年、投降してきた甘寧が黄祖を討った祝勝会で、父の仇を討つべく甘寧を殺そうとしたが止められる。逍遥津[ショウヨウシン]の戦いでは身を挺して孫権を守った。