王朗
?年〜228年
後漢の会稽太守。厳白虎と共に孫策と戦うが敗れ、曹操に仕える。曹丕の代に御史大夫となり、華歆らと共に献帝に位を譲るよう強要。その功で司空となり、曹叡の代には司徒となる。諸葛亮の北伐で夏侯楙が敗れると、曹真を推薦して自らも従軍。
諸葛亮
181年~234年
幼い頃、叔父の諸葛玄の庇護を受けて育ち、後に司馬徽の門に入って「伏龍」と呼ばれる。
劉備に三顧の礼で招かれると、孫権軍を動かし、赤壁の戦いで曹操軍を破った。自らの天下三分の計に従い、劉備に荊州南部と益州を制覇させて蜀を建国させる。