徐盛
曹丕

じょせい

徐盛

字:

ぶんきょう

文嚮

そ う ひ

曹丕

字:

し か ん

子桓

広陵の戦い
勝者:徐盛

曹丕が広陵に到着すると人影ひとつない。ところが一夜明けると長江岸辺に長い城壁が築かれ櫓の上には兵士が武器を持って並び立っている。驚いた曹丕は進撃することができず、蜀の趙雲が長安へ向かって進軍しているという報せを受けて撤退を決める。曹丕を驚かせた一夜城は、徐盛がはりぼての城壁に武器を持たせた藁人形を並べたものだった。奇策で曹丕を驚かせた徐盛の勝利。

蜀と呉が同盟を結んだことを知った魏の曹丕は大船団を組織して呉討伐へ向かう。呉の孫権は徐盛に迎撃を命じる。その勝敗の行方は…
対決!
徐盛
?年〜?年
呉の武将。孫策の後を継いだ孫権に招かれた。赤壁の戦い、南郡攻略戦、関羽討伐戦、夷陵の戦いなどに参戦。中でも215年に合肥[ガッピ]を攻めた際は、魏の大軍に包囲されながら、奮戦して囲みを切り抜ける活躍を見せた。荊州に侵攻した劉備に気圧され、孫権が曹丕に臣従して呉王となった際、「我らが不甲斐ないせいで、主君に他人の爵位を受けさせてしまった」と嘆く。
曹丕
187年〜226年
曹操の次男。袁家の居城・鄴を攻略した際、袁煕の妻・甄氏を娶った。曹植と後継の座を争うが、長幼の序を重視する賈詡らの口添えで王太子に就任。曹操が死ぬと魏王となり、献帝の禅譲を受けて魏の初代皇帝となる。その後、たびたび蜀や呉を攻めるが戦果はなかった。在位7年、曹真、陳羣、司馬懿に次帝・曹叡の後見を託し、病没した。