馬超
張飛

ば ちょう

馬超

字:

も う き

孟起

ちょうひ

張飛

字:

よくとく

翼徳

馬超と張飛
引分

馬超と張飛は百合あまり打ち合ったが勝負がつかず、一度それぞれの陣に戻る。その後、再び戦うが日が暮れても決着がつかず松明を並べて戦い続ける。それでも勝負はつかず引分となった。
 

劉璋と決別し、成都攻略を目指す劉備軍。その背後を劉璋と同盟した張魯軍が突く。葭萌関を攻める張魯軍の馬超の前に劉備軍の猛将・張飛が立ちふさがる。その勝敗の行方は…
対決!
馬超
176年〜226年
馬騰の長男。父弟が曹操に謀殺されると、馬騰の義兄弟だった韓遂と共に復讐戦を挑む。長安、潼関を連破し、渭水で曹操と対陣するが、曹操の参謀・賈詡の離間の計で韓遂と仲違いし大敗。冀城を奪って抵抗を続けるが、楊阜らの計略で駆逐され妻子を失う。その後、張魯の傘下で劉備軍と戦い張飛と激しく打ち合うが、李恢の説得に応じて劉備陣営に加わった。「西涼の錦馬超」の異名をとる。
張飛
167年〜221年
劉備、関羽の義弟。桃園の誓いで劉備、関羽と義兄弟となる。正義漢だが酒が入ると失敗が多く、劉備に下邳の守りを任された時も、泥酔して呂布に城を奪われた。しかし、武勇では物語でも一、二を争い、長坂の戦いでは一騎で曹操の大軍を追い返した。