許褚
馬超

きょちょ

許褚

字:

ちゅうこう

仲康

ば ちょう

馬超

字:

も う き

孟起

虎侯と馬超
引分

百合あまり打ち合ったが勝負がつかず、馬が疲れたので仕切りなおす。新しい馬に変えて百合あまり打ち合ったが勝負はつかない。いきり立った許褚は鎧兜を脱ぎ捨て裸になって打ち合うが勝負はつかず、とうとう武器の奪い合いを始めてしまう。お互いの武器が壊れて殴り合いになったので両軍が加勢に入り勝負は引分となる。

父・馬騰を曹操に暗殺され復讐を誓う馬超は、韓遂と組んで曹操を攻める。潼関を攻略した馬超に曹操軍の虎侯・許褚が一騎討ちを挑む。その勝敗の行方は…
対決!
許褚
?年〜?年
黄巾賊の残党を討伐中にその武勇が曹操の目にとまり、曹操軍に加えられる。新野の劉備を攻めた際は先鋒となり、赤壁の戦いでは敗走する曹操を護衛した。潼関の戦いでも馬超軍に追いつめられた曹操を命懸けで守り抜き、「さすがは虎痴」と言わしめた。その後も濡須、漢中など曹操や曹丕が出陣する際に護衛として従軍した。
馬超
176年〜226年
馬騰の長男。父弟が曹操に謀殺されると、馬騰の義兄弟だった韓遂と共に復讐戦を挑む。長安、潼関を連破し、渭水で曹操と対陣するが、曹操の参謀・賈詡の離間の計で韓遂と仲違いし大敗。冀城を奪って抵抗を続けるが、楊阜らの計略で駆逐され妻子を失う。その後、張魯の傘下で劉備軍と戦い張飛と激しく打ち合うが、李恢の説得に応じて劉備陣営に加わった。「西涼の錦馬超」の異名をとる。