周魴
曹休

しゅうほう

周魴

字:

し ぎょ

子魚

そうきゅう

曹休

字:

ぶんれつ

文烈

周魴の計略
勝者:周魴

周魴は身の潔白を証明するために自分の首を切ろうとするが曹休に止められ、代わりに髻(もとどり)を切って信用させる。見事な演技で曹休を騙した周魴の勝利。
 

呉軍の鄱陽太守・周魴は魏軍の曹休へ寝返るふりをして、魏軍をおびき寄せ罠にかけようと考える。周魴を信じて呉へ進軍する曹休だったが、周魴に合流すると「周魴は謀にたけているので信用できないという者もいる」と心配する。はたして周魴は曹休を納得させることができるのか…
対決!
周魴
?年〜?年
呉の鄱陽太守。228年、偽って魏の曹休に投降し、呉が滅ぶ七つの理由を述べて、呉討伐軍を起こさせた。
曹休
?年〜228年
曹操の甥。銅雀台落成式で見事な弓技を披露し、濡須口の戦いでも凌統の馬を射当てた。曹操の死後、曹洪と共に宮中に乗り込み、曹丕への譲位を献帝に強要。以後は対呉戦線を指揮し、曹丕臨終の際は曹叡の後見を頼まれた。