張郃
張遼

ちょうこう

張郃

字:

しゅんがい

儁乂

ちょうりょう

張遼

字:

ぶんえん

文遠

張郃と張遼
引分

 
張郃と張遼は五十合打ち合っても勝負がつかず引き分ける。
 

曹操と袁紹が戦った官渡の戦い。曹操軍から張遼が先陣を切ると袁紹軍からは張郃が迎え撃つ。その勝敗の行方は…
対決!
張郃
?年〜231年
官渡の戦いで袁紹に従軍。烏巣[ウソウ]が曹操に急襲されると、郭図の策に従い高覧と共に曹操の本営を攻めるが敗退。 郭図に責任をかぶされ、やむなく曹操に降った。その後、魏将として各地を転戦。漢中の張魯を攻めた際は夏侯淵と共に先鋒となる。 劉備との漢中攻防戦で大敗し、曹洪に斬られそうになった。諸葛亮が北伐を起こすと、街亭で馬謖を破るなど蜀軍を苦しめる。
張遼
169年〜224年
呂布の武将。後に曹操に仕える。呂布が下邳で敗死した時に捕らえられ、劉備と関羽の勧めで曹操に登用される。曹操軍が関羽を下邳に包囲した時は関羽に降伏を説いた。官渡の戦いの後、烏丸討伐を指揮し、白狼山で蹋頓[トウトン]を討つ。赤壁の戦い後は合肥[ガッピ]に入り、魏呉国境を守る。215年、李典、楽進と共に逍遥津[ショウヨウシン]で孫権軍を大破し、その名を聞けば泣く子も黙ると恐れられた。