諸葛亮
夏侯惇

しょかつ りょう

諸葛亮

字:

こうめい

孔明

か こ う と ん

夏侯惇

字:

げんじょう

元譲

伏龍、夏侯惇に挑む
勝者:諸葛亮

夏侯惇率いる曹操軍を、葦が生い茂り道の狭い博望坡に誘い込み、火攻めにすることで壊滅させた諸葛亮の勝利。
 

曹操軍の夏侯惇が率いる十万の軍勢が劉備の守る新野を目指して出陣する。三顧の礼で劉備に仕えた諸葛亮は博望坡で夏侯惇を迎え撃つ。その勝敗の行方は…
対決!
諸葛亮
181年~234年
幼い頃、叔父の諸葛玄の庇護を受けて育ち、後に司馬徽の門に入って「伏龍」と呼ばれる。
劉備に三顧の礼で招かれると、孫権軍を動かし、赤壁の戦いで曹操軍を破った。自らの天下三分の計に従い、劉備に荊州南部と益州を制覇させて蜀を建国させる。
夏侯惇
?年〜220年
曹操の挙兵以後、常に従軍。董卓討伐戦では、徐栄に敗れた曹操を救出し、徐栄を突き殺す。呂布軍との戦いでは、曹性の矢を左目に受けながらも曹性を討った。許で耿紀[コウキ]と韋晃が曹操に反乱を起こした時は鎮圧に当たった。劉備軍との漢中攻防戦で、曹操が漏らした「鶏肋」という言葉の意を楊修に尋ね、撤退を指揮。曹操が死ぬと後を追うように病死した。