荀彧
郭嘉

じゅんいく

荀彧

字:

ぶんじゃく

文若

か く か

郭嘉

字:

ほうこう

奉孝

軍師2人
勝者:郭嘉

曹操は郭嘉の死を大変悲しみ、赤壁で大敗した時には「郭嘉が生きていれば負けなかった」と嘆くほど愛していた。一方の荀彧は晩年、曹操と意見が対立するようになり自殺する。
 

曹操の軍師として活躍した荀彧と郭嘉。曹操はどちらをより愛していたのだろうか…
対決!
荀彧
163年〜212年
曹操の参謀。兗州の黄巾残党を平定して人材を募った曹操の配下に加わり、張良のような人物と評される。呂布に兗州を奪われた際、程昱と共に三県を死守した。李傕の下を離れた献帝を保護するよう進言し、官渡の戦いでは劣勢で弱気になった曹操を励ますなど、第一の謀臣として曹操軍を支えた。
郭嘉
170年~207年
程昱の推挙で曹操に仕え、自身は劉曄を推挙する。劉備が曹操を頼った時、荀彧と程昱が劉備を斬るように進言したのに対し、劉備を斬ると人心を失うと諭した。官渡の戦いの前、曹操には袁紹に勝つ十の勝因があると説き、袁紹よりも呂布の討伐戦を優先させた。その後も孫策の早世を予言し、袁家の滅亡も正確に見抜くが、袁尚討伐戦の途中に病に倒れた。