文醜
趙雲

ぶんしゅう

文醜

ちょううん

趙雲

字:

しりゅう

子龍

文醜と趙雲
引分

 
文醜と趙雲は五、六十合打ち合うも勝負はつかず、公孫瓚の部下が救援に来たことで文醜は逃げる。
 

公孫瓚と袁紹が戦った磐河の戦い。袁紹軍の文醜に追いかけられ窮地に追い込まれた公孫瓚だったが、突如現れた趙雲が助けに入る。その勝敗の行方は…
対決!
文醜
?年〜200年
顔良と並び、袁紹軍の双璧と呼ばれる猛将。汜水関の戦いには随軍しておらず、董卓軍の華雄に苦戦する袁紹は「顔良、文醜がいれば負けないものを」と嘆いた。
趙雲
?年〜228年
劉備に請われて公孫瓚に仕えるが、公孫瓚が滅びると劉備に仕えた。長坂の戦いで単身、曹操軍に斬り込み甘氏と阿斗(劉禅)を救出。漢中攻防戦では一騎で曹操軍の進軍を止め、「子龍は一身これ胆」と称された。街亭の敗戦でも、趙雲の部隊だけは1兵も損なわず撤退に成功する。他にも蜀攻略戦、南蛮平定戦など諸葛亮の遠征には常に同行し、劉備や諸葛亮から信頼された。