闞沢
182年〜243年
呉の幕僚。孫策の死後、孫権に招かれ配下となった。劉備に関羽の復讐戦を挑まれた孫権が誰を防衛指揮官にするか迷った際、ただ1人陸遜を推挙した。後に太子太傅となり、孫和を教育する。呉の暦「乾象暦注[ケンショウレキチュウ]」を著し、虞翻から「現代の董仲舒[トウチュウジョ]」と称賛された。
曹操
155年〜220年
許劭から「治世の能臣、乱世の姦雄」と評される。黄巾賊討伐で活躍し、董卓が実権を握ると諸侯に董卓打倒を呼びかけて挙兵。その後、兗州を平定して青州兵を加え、献帝を許昌に迎えて政権を握る。呂布、袁術らを倒し、官渡の戦いで袁紹を破って河北を支配。次いで劉琮を下し江東に迫るが、赤壁の戦いで孫権、劉備の連合軍に敗れ、全土統一の機会を逃す。