劉曄
176年〜235年
曹操の幕僚。阜陵王・劉延(後漢光武帝の子)の末裔。郭嘉の勧めで曹操に仕え、満寵と呂虔を推薦する。215年、曹操が漢中を平定すると、司馬懿と共に余勢を駆って蜀を攻めるように進言。後に聞き入れなかったことを曹操に後悔させた。曹叡の代、曹真の蜀進攻で軍師を務めた。
審配
156年〜204年
袁紹の幕僚。袁紹が曹操との開戦を決めると、逢紀と共に黎陽に出陣。しかし、荀彧から「我意が強く無策」と評された通り、同僚の許攸らと対立した。袁紹が死ぬと、逢紀と共に袁尚を後継者に迎え、袁譚、郭図と対立。後に曹操が北上した時、陳琳と共に鄴に籠もって奮戦し、曹操に寝返った辛毘の一族を皆殺しにする。しかし、甥の審栄が城門を開いたため、徐晃に捕らえられ、袁尚のいる北の方角を向いて斬られた。