諸葛亮
司馬懿

しょかつ りょう

諸葛亮

字:

こうめい

孔明

し  ば  い

司馬懿

字:

ちゅうたつ

仲達

宿命のライバル
勝者:諸葛亮

戦いの途中、諸葛亮は死に蜀軍は撤退を始める。諸葛亮が死んだと確信した司馬懿は追撃を開始する。ところが蜀軍は反転して迎撃し、その中には諸葛亮の姿があった。諸葛亮の計にはまったと司馬懿はあわてて撤退をする。後にその諸葛亮は木像だったと知り「死人のやることは見抜けない」と己の負けを認めるのだった。

最後の北伐で諸葛亮の指揮する蜀軍は五丈原で司馬懿が指揮する魏軍と激突。
その勝敗の行方は…
対決!
諸葛亮
181年~234年
幼い頃、叔父の諸葛玄の庇護を受けて育ち、後に司馬徽の門に入って「伏龍」と呼ばれる。
劉備に三顧の礼で招かれると、孫権軍を動かし、赤壁の戦いで曹操軍を破った。自らの天下三分の計に従い、劉備に荊州南部と益州を制覇させて蜀を建国させる。
司馬懿
179年~251年
荊州の関羽が襄陽を攻撃した際、孫権と同盟して関羽を攻める策を献じた。
曹丕の信任を受け、曹叡の代には雍州と涼州の軍事を統括。諸葛亮と馬謖の計略で謀反を疑われ、一度は職を解かれるが、諸葛亮が北伐を始めると復職。以後、諸葛亮が五丈原で陣没するまで、蜀軍を防ぎきった。