憧れの史実武将でプレイする
お気に入りの三國志登場武将で中華統一を目指す!名声を貯めることでそんな夢が実現します。

勢力をかかえ、戦争・外交・謀略全般に関わる君主になるか。
それとも、軍団を動かし、戦争勝利を目指して突き進む将軍となるか。
はたまた、智謀の限りをつくして敵を翻弄する軍師となるか。

史実武将は武将ごとに初期の役職が決まっているので、希望する役職があればそれを予想して選ぶことも大切です。

有名な武将や人気のある武将ほど、より多くの名声値が必要となります。
史実武将プレイを望むならば、普段のゲームで多くの名声をためるよう心がけましょう!
劉備
三國志演義における主人公。
漢の中山靖王劉勝の末裔だが幼いころは貧しい生活をしていた。
誠実すぎる性格が災いし、多くの英傑を配下に従えながらも長きにわたり放浪していたが、 稀代の天才軍師諸葛亮を得たのちは、荊州を足がかりに勢力を拡大、 ついには蜀漢の皇帝を名乗るに至った。
関羽
中国史上に残る英雄で、劉備・張飛とは義兄弟。
愚直なまでの義理固さで劉備に仕えつづけた。
五虎大将軍の筆頭。
張飛
関羽に「私よりも強い」とまで言わせた豪の者。
長坂橋の戦いでは曹軍百万を相手に大喝し、一騎でその軍を退かせた。
諸葛亮
伏龍とあだ名された天才軍師。
劉備との出会いによりその才能をいかんなく発揮し、軍事・内政にその手腕を尽くした。
劉備の死後も蜀を支え続ける。
趙雲
長坂坡一騎駆けにより劉備から「子竜は一身すべてこれ胆なり」と称された英傑。
その高い作戦遂行能力で諸葛亮から全幅の信頼をよせられていた。
魏延
長沙太守韓玄の配下であったが、劉備による荊州四郡統一の折に韓玄を斬りその配下となった。
諸葛亮との不仲がとりあげられるが、蜀を支えた功臣の一人である。
孫乾
陶謙の死後、その推薦で劉備に仕えた軍師。
放浪を続ける主君のために使者として各君主のもとへと走りまわった。


曹操
黄巾賊の討伐で名を馳せ、献帝を要して勢力を延ばし、 ついには中国の三分の二を治める魏王国をつくりあげた英雄。
若い頃より「治世の能臣、乱世の姦雄」と証されたのはじめ、 多くの名士達に乱世を治める才能の持ち主と評価されていた。
権謀術数に優れるだけでなく、詩歌も収め文化人としても名を残す。
夏候惇
曹操配下の将軍。曹操とは親戚関係にあり、その旗揚げ時から従軍した。
呂布との戦いで左目を射られたが「親からもらったものだ、捨てるわけにはいかぬ」 とその目を食べた。
曹仁
曹操の従兄弟。曹操の旗揚げ時に曹洪とともに臣下に加わった。
弓馬に熟達し、武芸に通じていたとされ、多くの武勲をあげた。
しかし、短気な性格で敗戦も多い。
張遼
智勇兼備の将。丁原、董卓、呂布に仕えた後曹操に下る。
河北平定の戦で武勲をあげ、赤壁以後は呉との国境合肥を守り、 呉軍から「遼来来」と恐れられた。
李典
曹操の董卓討伐の義兵募集により参軍。
慎重な性格で副将として幾多の合戦に参加し、 赤壁以後は張遼とともに合肥を守った。
荀イク
曹操に「我が張良」と称された王佐の才。
その智謀により郭嘉と共に曹操を支え、河北平定などに力を尽くした。
常々劉備の危険性を説いていた。
郭嘉
字は奉孝。正確無比な読みと智謀で曹操に重用されたが、若くして病死した。 赤壁の敗戦で曹操は「奉孝が生きていれば、このような敗戦はなかった」ともらしている。


孫権
父孫堅、兄孫策の後を継ぎ江東を治める。
強大な勢力を誇る曹操に下ろうとも考えたが、周瑜、孔明の説得により赤壁の開戦を決意した。
肥沃な土地と優秀な人材を使いこなし、臨機応変な外交政策によって魏、蜀の侵攻を耐えぬき 呉国を存続させ続けた名君である。
孫堅
孫策、孫権の父で「江東の虎」と呼ばれるほど武芸に優れた。
黄巾の乱での活躍から江夏を治め、打倒董卓の軍にも参加。
劉表との戦いで戦死する。
孫策
孫堅の死後、袁術のもとに身を寄せていたが、玉璽を質に兵を借り、 劉ヨウ・厳白虎などを次々に破り江東一帯を治めるまでに至った。
二十六歳にして世を去っている。
周瑜
呉の大都督。孫策とは義兄弟。
呉の軍事・外交の一切をまとめた。
赤壁の戦いで圧倒的な兵力を誇る魏を相手に勝利を収めるなど軍略の才に優れた。
陸遜
呂蒙亡き後、呉を支えた名将。
呂蒙と共に関羽を破り、大都督就任後は関羽の弔い合戦を仕掛けてきた劉備も撃退。 その知略で魏・蜀を恐れさせた。
甘寧
海賊の頭領をしていたが、前非を悔いて劉表に仕える。
やがて孫権に降った際には「まずは荊州、次に蜀を取って基盤とし、曹操に対抗せよ」と 進言している。
黄蓋
孫堅の時代から呉に仕えた重臣。
董卓討伐軍から呉の平定にと多くの戦いに従軍した。 赤壁の戦いでは「苦肉の計」を実行し、その勝利に貢献した。


その他の英傑達
呂布
三國志随一の猛将。 一騎打ちでは関羽・張飛の二人を相手にしてなお余裕があったとされる。
二度の養父殺しなど裏切りの人生を歩んだ。
馬騰
勇猛で知られる西涼の太守。
董卓討伐の檄に応じて集結した諸侯の一人。 曹操暗殺計画に荷担していたため、都に誘い出されて捕まり処刑された。
袁紹
名門袁家の出で曹操とは旧知の間柄。
河北一帯を治めながらも、優柔不断な性格と度量の狭さが災いし官渡の戦いで曹操に敗れた。
劉表
荊州の太守、年少の頃「江夏の八俊」と呼ばれた才の持ち主。
落ちのびてきた劉備を迎え曹操と戦うが、配下に翻弄されその生涯を終えた。
公孫サン
北平の太守で董卓討伐の檄に応じて集結した諸侯の一人。
劉備が盧植に師事していた頃に交際があった。
後に袁紹に敗れ自害している。
顔良
袁紹配下の将軍で、同僚の文醜とは義兄弟。
曹操との合戦では宋憲、魏続、徐晃などを退けるが、客将だった関羽に一刀のもと斬り伏せられた。
陳宮
董卓暗殺に失敗した曹操の志に応じて行動を共にするが、その傲慢な性格に曹操を見限る。
後に呂布に仕えるが、陳宮の助言は聞き入れられず曹操に敗れた。
張任
劉焉、劉璋の側近。
白鳳坡で劉備軍に大損害を与えるもついには張飛に捕らえられた。
義に厚く、あくまで降伏を拒み続け、自ら死を選んだ。