徳川四天王・十六神将の一人。57度の合戦に出陣し、一度も傷を受けなかったという。その活躍は、金ヶ崎の退き口に始まり、家康が信玄に誘い出された三方ヶ原での殿軍、本能寺直後の家康の伊賀越えと、常に主君・家康の命を守って忠義を尽くした。小牧長久手では家康本軍と離れ、忠勝隊のみで秀吉本軍と激闘と、武勇は尽きない。信玄や秀吉ら敵将から「花も実もある猛将」「古今独歩の勇士」「家康に過ぎたるもの」と褒め称えられた。
武器は、「蜻蛉切」の伝説を残した無双の鉄槍。