美濃の森可成の子、長定。森長可の弟。兄・長可は伊勢長島一揆の制圧に功あって20万石を拝し、さらに秀吉に従って長久手の合戦に参陣、若くして散った。長定は、幼少から織田信長に近習し、才を認められて重用される。近江500石を与えられ、武田勝頼死後は美濃岩村城5万石を与えられている。信長に従って本能寺に寄宿した際、明智光秀に急襲され、果敢に奮戦するも、弟の力丸、坊丸とともに、信長に殉じた。ときに18歳であった。
軽快な動きのスピードタイプ。
武器は刀剣で、初期武器は身丈ほどもある野太刀。