紀伊の雑賀衆出身。信長が一揆衆の本拠・伊勢長島を攻めたとき、一揆衆に味方したのが雑賀衆である。鉄砲隊を組織し、織田軍をいったんは敗退に追い込んだほどであった。鈴木重秀とも重朝とも説があるが、不詳。重秀は、石山合戦で100人規模の鉄砲隊を率いて織田軍を苦しめた。本願寺との間に立って山崎の戦いで活躍、後に秀吉の紀州攻略にも参陣。重朝は関ヶ原西軍で伏見城攻略に功あるも、政宗に身を寄せ、後に家康・頼房臣下。
能力はバランス型だが、飛び道具を使う。
堺筒を初期武器に、本願寺雑賀衆として登場する。