家康の父・広忠の代より二代に渡って仕えた忍者。家康と同い年で16歳のとき伊賀者数十名を指揮し、三河宇土城に火をかけて功があったという。遠州掛川城攻め、姉川の戦い、三方ヶ原、武田勝頼迎撃と歴戦。本能寺の変の折、孤立無援の窮地にあった家康を堺から岡崎まで警護。家康の三大危機の一つ「伊賀越え」である。以後、家康の忍頭として活躍。家康が関東に国替えになると、江戸城西門に屋敷を与えられた。
もちろん忍術アクション。しかし、使用武器が鎖鎌だけに、
攻撃範囲も自在な独特なアクションになりそう。