羊祜
陸抗

よ う こ

羊祜

字:

しゅく し

叔子

りくこう

陸抗

字:

ようせつ

幼節

陸羊之交
勝者:羊祜

 
領民だけでなく敵兵にも尊敬されていた羊祜の勝利。
 

敵同士でありながら互いに徳と信義をもって対峙した晋の羊祜と呉の陸抗。優れた前線司令官である2人を比べたら、どちらが勝るのだろうか…
対決!
羊祜
221年〜278年
晋の武将。姉は司馬師の妻。妻は夏侯覇の娘。呉の陸抗と対抗し、襄陽に駐屯。互いの才覚を認め合い、陸抗が病気になると薬を送った。陸抗が孫皓に晋への内通を疑われ左遷されると、呉を討つ好機と上表。しかし、賈充らに反対され、出兵は見送られる。間もなく病気になり、杜預を後任に推薦して死亡。領民はその死を嘆いて碑と廟を建て、後に「堕涙の碑」と呼ばれた。
陸抗
226年〜274年
呉の武将。陸遜の次男。孫策の外孫。孫休の代に鎮東大将軍、荊州牧となり、荊州戦線の軍事を一任される。孫皓から襄陽攻略の命を受け、晋の羊祜と対陣。互いの才覚を認め合い、羊祜に酒を贈って敬意を表した。その後、再度襄陽攻略の命を受けるが、晋を攻めることの不利を説いたため内通の疑いを買い、軍権を奪われ降格された。