韓遂
?年〜?年
後漢の并州刺史。涼州軍閥の首領の1人。西涼太守・馬騰とは義兄弟。馬騰と共に、長安を占拠した李傕軍と戦うが敗れた。
馬騰が曹操に暗殺されると、馬超と共に復讐の兵を挙げる。長安を落とし、潼関まで進出するが、賈詡の離間の計によって馬超と決裂。
曹操に降る決意をしたところを馬超に乗り込まれる。馬超が敗走すると、西涼侯になった。
馬超
176年〜226年
馬騰の長男。父弟が曹操に謀殺されると、馬騰の義兄弟だった韓遂と共に復讐戦を挑む。長安、潼関を連破し、渭水で曹操と対陣するが、曹操の参謀・賈詡の離間の計で韓遂と仲違いし大敗。冀城を奪って抵抗を続けるが、楊阜らの計略で駆逐され妻子を失う。その後、張魯の傘下で劉備軍と戦い張飛と激しく打ち合うが、李恢の説得に応じて劉備陣営に加わった。「西涼の錦馬超」の異名をとる。