【大名 】
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今川義元を桶狭間に破り、武名を轟かせる。
以後、各地を転戦して有力大名を次 々と滅ぼした。
天下布武を目前にして、明智光秀の謀反に遭い本能寺に散る。
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江戸幕府の創始者。桶狭間合戦後に今川家から自立。織田家との同盟、豊臣家への臣従を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦の勝利ののちに征夷大将軍となる。
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織田信長
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徳川家康
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東海北陸
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東海北陸
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1534〜1582
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1542〜1616
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「蝮」の異名をとった稀代の梟雄。
京都妙覚寺の僧から油商人に身を転じ、美濃一国の主にまで昇りつめた。
しかし、子・義龍との戦いに敗れ戦死。
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信虎の嫡男。
父の苛烈な政策に反対し、これを追放、代わって当主となる。
精強な騎馬軍団を率い、臨機応変の智謀で織田信長を苦しめた。
通称「甲斐の虎」。
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斎藤道三
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武田信玄
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東海北陸
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東海北陸
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1494〜1556
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1521〜1573
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輝宗の嫡男。通称「独眼竜」。18歳で家督を相続、瞬く間に周辺諸国を切り従え、24歳で奥州に覇を唱えた。
権謀術数で豊臣・徳川両政権を生き抜いた。
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三河・遠江・駿河を支配した太守。
武田家・北条家と三国同盟を締結。
後顧の憂いを断って上洛軍を興す。
しかし、上洛の途上、織田軍の奇襲により落命。
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伊達政宗
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今川義元
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東北
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東北
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1567〜1636
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1519〜1560
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北条家3代当主。
武田信玄・上杉謙信らの強豪と戦いながら、関東に一大北条王国を作り上げた。
知勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても知られる。
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戦国最強と謳われた「越後の龍」。
上杉憲政から関東管領職を譲られ、上杉姓を名乗った。
「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は、軍神の如しと畏れられた。
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北条氏康
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上杉謙信
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関東
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関東
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1515〜1571
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1530〜1578
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本願寺11世法主。
領国の完全支配を図る武家勢力に抵抗し、日本各地で一向宗門徒を蜂起させた。
織田信長を「仏敵」と罵り、目の敵にする。
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安芸吉田郡山城主。
調略を巧みに操り、中国10カ国の主となった無類の謀将。
厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄し、4千の兵で2万の敵を破った。
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本願寺顕如
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毛利元就
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近畿
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中国四国
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1543〜1592
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1497〜1571
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貴久の次男。 伊東・大友家を粉砕し、島津家を隆盛に導いた猛将。 朝鮮出兵では明の大軍を撃破、亀甲船水軍をも蹴散らすなど、「鬼石曼子」の名を轟かせた。
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大友家21代当主。
優秀な家臣団を擁して北九州6カ国を領した。
キリスト教信仰や淫蕩趣味が家臣の反発を招く。耳川合戦で島津軍に大敗し、勢力を失った。
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島津義弘
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大友宗麟
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九州
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九州
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1535〜1619
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1530〜1587
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【武将】
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戦国一の出世頭。
織田信長に仕え、傑出した人望と智略を武器に活躍し、頭角を現す。
本能寺の変後、明智光秀、柴田勝家らを次々と倒し、天下に覇を唱えた。
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織田家臣。
家中随一の猛将として活躍。
北陸方面の攻略を一任された。本能寺の変後、羽柴秀吉と覇権を争う。賤ヶ岳合戦で敗れ、越前北ノ庄城で自害した。
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羽柴秀吉
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柴田勝家
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東海北陸
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東海北陸
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1536〜1598
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1522〜1583
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織田家臣。優れた才知と教養をもって信長に重用された。
突如謀反を起こし、信長を本能寺に討つが、事後調略には失敗する。羽柴秀吉に山崎で討たれた。
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徳川四天王の1人で、「家康に過ぎたる もの」と謳われたほどの武勇の士。
名槍「蜻蛉切」を手に50余回の合戦に参陣し、かすり傷1つ負わなかったという。
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明智光秀
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本多忠勝
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東海北陸
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東海北陸
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1528〜1582
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1548〜1610
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織田家臣。
安土城の普請を総指揮した。四国攻めの大将に任じられるが、本能寺の変のため実行が中止される。のちは羽柴秀吉に与し、その天下統一を助けた。
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伊達家臣。
19歳で政宗の傅役となり、 「智」の面で政宗を助けた智将。
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するよう政宗を説得し、所領を保たせた。
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丹羽長秀
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片倉景綱
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東海北陸
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東北
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1535〜1585
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1557〜1615
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昌幸の次男。
蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入城、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
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豊臣家臣。
秀吉の懐刀として辣腕を振るった。
秀吉の死後、西軍の総大将として徳川家康と関ヶ原で戦うが、諸将の統制をとれずに敗北し、京都で斬首された。
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真田幸村
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石田三成
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関東
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近畿
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1567〜1615
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1560〜1600
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豊臣家臣。
軍師として秀吉に仕え、天下取りに並ならぬ貢献をした。晩年はその智謀と勇略を秀吉に恐れられ、禄は豊前中津12万石に抑えられた。
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大友家臣。
若いころに落雷を受け歩行不能となった。輿に乗って大友軍の先陣を切る姿は「雷の化身」の異名をとる。その武名は東海地方まで轟いたという。
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黒田官兵衛
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立花道雪
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中国四国
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九州
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1546〜1604
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1513〜1585
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