大名武将
人は城 人は石垣 人は壕
  武将武将武将  

ゲームの勝敗を分けるのが、全地域を通して登場する、総勢750名以上の歴代有名[大名]や[武将]達

織田信長・武田信玄といった有名大名はもちろんのこと、羽柴秀吉・石田三成といった武将や、石川五右衛門や宮本武蔵といった剣豪まで…

 

能力の低い武将でも、[特技]に合った適材適所の任務を命ずることで、十二分な働きをしたり合戦で思わぬ力を発揮する等、戦略に幅が持たせられる要素がふんだんに盛り込まれているため、バリエーションに富んだ【大名】【武将】集めが楽しる。
各【大名】【武将】達は、決まった地域にしか出現しない為、良将を求めての地方巡りも面白い。

各地域で収集した【大名】【武将】たちの中から、自分なりに厳選した『最強軍団』で全国大会に出場しよう!
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ゲームに登場する代表的な 【大名】【武将】
【大名 】
 
 
今川義元を桶狭間に破り、武名を轟かせる。
以後、各地を転戦して有力大名を次 々と滅ぼした。
天下布武を目前にして、明智光秀の謀反に遭い本能寺に散る。
 
 
江戸幕府の創始者。桶狭間合戦後に今川家から自立。織田家との同盟、豊臣家への臣従を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦の勝利ののちに征夷大将軍となる。
織田信長
徳川家康
東海北陸
東海北陸
1534〜1582
1542〜1616
 
 
「蝮」の異名をとった稀代の梟雄。
京都妙覚寺の僧から油商人に身を転じ、美濃一国の主にまで昇りつめた。
しかし、子・義龍との戦いに敗れ戦死。
 
 
信虎の嫡男。
父の苛烈な政策に反対し、これを追放、代わって当主となる。
精強な騎馬軍団を率い、臨機応変の智謀で織田信長を苦しめた。
通称「甲斐の虎」。
斎藤道三
武田信玄
東海北陸
東海北陸
1494〜1556
1521〜1573
 
 
輝宗の嫡男。通称「独眼竜」。18歳で家督を相続、瞬く間に周辺諸国を切り従え、24歳で奥州に覇を唱えた。
権謀術数で豊臣・徳川両政権を生き抜いた。
 
 
三河・遠江・駿河を支配した太守。
武田家・北条家と三国同盟を締結。
後顧の憂いを断って上洛軍を興す。
しかし、上洛の途上、織田軍の奇襲により落命。
伊達政宗
今川義元
東北
東北
1567〜1636
1519〜1560
 
 
北条家3代当主。
武田信玄・上杉謙信らの強豪と戦いながら、関東に一大北条王国を作り上げた。
知勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても知られる。
 
 
戦国最強と謳われた「越後の龍」。
上杉憲政から関東管領職を譲られ、上杉姓を名乗った。
「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は、軍神の如しと畏れられた。
北条氏康
上杉謙信
関東
関東
1515〜1571
1530〜1578
 
 
本願寺11世法主。
領国の完全支配を図る武家勢力に抵抗し、日本各地で一向宗門徒を蜂起させた。
織田信長を「仏敵」と罵り、目の敵にする。
 
 
安芸吉田郡山城主。
調略を巧みに操り、中国10カ国の主となった無類の謀将。
厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄し、4千の兵で2万の敵を破った。
本願寺顕如
毛利元就
近畿
中国四国
1543〜1592
1497〜1571
 
 
貴久の次男。
伊東・大友家を粉砕し、島津家を隆盛に導いた猛将。
朝鮮出兵では明の大軍を撃破、亀甲船水軍をも蹴散らすなど、「鬼石曼子」の名を轟かせた。
 
 
大友家21代当主。
優秀な家臣団を擁して北九州6カ国を領した。
キリスト教信仰や淫蕩趣味が家臣の反発を招く。耳川合戦で島津軍に大敗し、勢力を失った。
島津義弘
大友宗麟
九州
九州
1535〜1619
1530〜1587
 
【武将】
 
 
戦国一の出世頭。
織田信長に仕え、傑出した人望と智略を武器に活躍し、頭角を現す。
本能寺の変後、明智光秀、柴田勝家らを次々と倒し、天下に覇を唱えた。
 
 
織田家臣。
家中随一の猛将として活躍。
北陸方面の攻略を一任された。本能寺の変後、羽柴秀吉と覇権を争う。賤ヶ岳合戦で敗れ、越前北ノ庄城で自害した。
羽柴秀吉
柴田勝家
東海北陸
東海北陸
1536〜1598
1522〜1583
 
 
織田家臣。優れた才知と教養をもって信長に重用された。
突如謀反を起こし、信長を本能寺に討つが、事後調略には失敗する。羽柴秀吉に山崎で討たれた。
 
 
徳川四天王の1人で、「家康に過ぎたる もの」と謳われたほどの武勇の士。
名槍「蜻蛉切」を手に50余回の合戦に参陣し、かすり傷1つ負わなかったという。
明智光秀
本多忠勝
東海北陸
東海北陸
1528〜1582
1548〜1610
 
 
織田家臣。
安土城の普請を総指揮した。四国攻めの大将に任じられるが、本能寺の変のため実行が中止される。のちは羽柴秀吉に与し、その天下統一を助けた。
 
 
伊達家臣。
19歳で政宗の傅役となり、 「智」の面で政宗を助けた智将。
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するよう政宗を説得し、所領を保たせた。
丹羽長秀
片倉景綱
東海北陸
東北
1535〜1585
1557〜1615
 
 
昌幸の次男。
蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入城、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
 
 
豊臣家臣。
秀吉の懐刀として辣腕を振るった。
秀吉の死後、西軍の総大将として徳川家康と関ヶ原で戦うが、諸将の統制をとれずに敗北し、京都で斬首された。
真田幸村
石田三成
関東
近畿
1567〜1615
1560〜1600
 
 
豊臣家臣。
軍師として秀吉に仕え、天下取りに並ならぬ貢献をした。晩年はその智謀と勇略を秀吉に恐れられ、禄は豊前中津12万石に抑えられた。
 
 
大友家臣。
若いころに落雷を受け歩行不能となった。輿に乗って大友軍の先陣を切る姿は「雷の化身」の異名をとる。その武名は東海地方まで轟いたという。
黒田官兵衛
立花道雪
中国四国
九州
1546〜1604
1513〜1585