【 エッセイ部門 優秀賞 】 Marcobi 様

私が「信長の野望」というソフトに出会ったのは、十二歳の夏の頃だったと思う。

その頃の私は電車通学をしていて、その時間を利用し多くの本を読んでいた。 今振り返れば、その通学時間は「戦争」だったと言っても大袈裟ではない。自分の倍はある大人の群れに毎朝突撃していき、囲まれ、潰され、中には、私が背負ったランドセルを鞄置き場にする意地の悪い輩も多くいた。 そんな毎朝行われた「戦争」を六歳から続ける事ができたのは、小さな掌の上で行われる信玄と謙信の「川中島の戦い」や、織田信長の「長篠の戦い」だった。これらの戦国絵巻は、毎朝の戦争に耐えるには余りある活力となっていたのである。

私が初めて手にした「信長の野望」シリーズは『武将風雲録』で、多くの大名をプレイしては毎回、天下統一を成しえていった。それまでは本でも知りえなかった大名たちに、天下統一を通じて興味を持ち、やがて近くの小さな本屋で、大名や武将にまつわる本を買って読むという繰り返しになった。

しかし、天下統一という事業になにか違和感を覚えていた。

事の発端は、些細な父の一言だった。
私の父は、学生時代に歴史という科目に興味を持つ事がなかったらしく、あまり私との接点もなかった。
話す事も稀だったし、まして父から私に話してくる事などそれまでに片手の指で数えるほどだった。

そんな父が言った。
「七月に攻め込んで、戦争を始めるのが七月一日なんだな。」と。

「ゲームだからね」

そっけなく私は応えた。反抗期であった事も態度に出ていたと思う。

そんな私に父は、「近くだから行ってみよう」と言い出して私を車に乗せた。

自宅から四十五分。車の中での会話は父の一方的な話と言えた。

それは歴史に関係ない日常のたわいもない会話である。いつもは威厳の塊のような父が楽しそうに話をしてくる事に、私はあいまいな返事をしていた事しか覚えていない。

今思えば可愛げのない子供だったろう。

車が止まった場所は、千葉県市川市にある国府台駅だった。北条氏と里見氏が戦った戦地である。当たり前だが、戦国時代の古戦場の雰囲気など微塵もない。近くには蔵前通りがあって車通りが激しく、歩道には夏休み中の部活帰りの女学生が、駅に向かって数人ずつ固まっておしゃべりしていた。 車の中で、父は私に「国府台の合戦」を説明してくれた。その説明は、歴史に興味がないとは思えないほど饒舌で、よく調べられたものだった。

インターネットのない時代。父は一所懸命になって本を読み漁り、四十を過ぎているにも関わらず、新しくも興味のない知識を頭に叩き込んだのだろう。その情熱には驚いてしまった。

父は最後に、「小田原からここまで戦いに来るってどんな心境だったのかな」と話を締めくくった。

父の連れてきてくれたそこには、今まで気付かなかったなにかがあるような気がした。

それ以降、信長の野望をプレイしても、天下統一ではない何かを目指すようになっていた。『天下創世』では、城下を歩く釣り人をずっと見ていた時もあった。歴史資料にない、その時代に生きた人々を感じようとしていた。歩いていく光景がそこにはあった。

「天下統一」という大事業は奇跡以外のなにものでもないと言っていい。

戦国の世を終わらせた秀吉も惣無事令を出して天下統一を実現させたわけある。天下に武を布いて天下統一をしたわけではない。それには、当時の多くの世論の影響があったのだろうと思う。戦いの時代の殺伐とした空気に民衆は飽きたのではないか。そう思えた。

私にとって「信長の野望」シリーズは、出る度に多くの疑問と新たな発見を湧き立たせるツールとなっている。

そして今後も、今以上に戦国史を再認識させてくれ、探求させてくれる事だろう。

今後も、私の手元で新しい発見や驚きを与え続けてくれる必需品であってほしい。

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