待宵(まつよい)



若い貴族に、早い月を愛でようと誘われ、友雅は二つ返事で承諾した。
日が完全に落ちるまでには、まだ時間がある。
その中途半端に空いた時間に、花でも愛でようと思っていた矢先だった。

内裏の中、すでに数人の貴族たちが集まり、桜の向こうに姿を見せはじめている月を楽しんでいた。
そのほとんどが、友雅よりも年若い者たちだ。
彼らにとって、近衛府に務め、帝の覚えもめでたい友雅は、憧れの的なのだろう、友雅たちがその場にいくと、さわさわと場所をあけ、一番よい席を彼にすすめた。

少し離れた房では、女房たちが集まっているのか、幼い殿上童がなにやら言いつかっては走り回っている。
そのうちの一人が、桜を乗せた扇を持って、友雅の元へやってきた。
優雅な仕草で扇を受け取った友雅は、小さな笑みを浮かべて、童に告げる。

「承知したとお伝えしなさい」

元気よく走り出した童の足音が遠ざからぬうちに、貴族たちは扇の主について、やいのやいのとはやしたてる。
友雅はあいまいな笑みを浮かべたまま、そばにいた若い貴族に琵琶を持ってくるようにと頼んだ。
ほどなくもたらされたそれを受け取ると、友雅は優雅な仕草で琵琶を弾き始める。
その場にいた貴族が、袂(たもと)から取り出した横笛を合わせはじめると、女房たちのいる房からは琴の音が応じる。

時は夕刻、月が東にさしかかり、日はゆるりとその姿を隠そうとする。
その陽をひきとめようとするかのように、楽の音が空を舞う。
ゆるゆると過ぎる刻限に、友雅は小さく笑みをこぼす。

こんな時間のすごし方は、悪くない。いつも友雅はそう思う。
さして楽しくもないが、さりとてつまらないわけでもない。
おおむね良好、とでもいうべきか。
こうしている間に時は行き過ぎ、いつか終わりを告げるのだ。
月が中天に向かうように――陽が山の向こうに消えるように。

最後の一音を響かせて、友雅はそのかすかな残響をほんの一瞬、追いかけた。
だが、月が桜の登頂にさしかかったのに気づき、ことりと琵琶を置く。
おや、というようにざわめく周囲に、友雅は笑いかけながら立ち上がった。

「無粋ですまないが、野暮用があるのでね。私はこれで失礼するよ」

残念そうな声と、ひそやかな含み笑い。
友雅もふふ、と、いつものあいまいな微笑を浮かべる。

「仕事だよ。これでも一応、帝からお役目をいただいている身だからね」

ほとんど音も立てず、小さな鈴の音だけを残して、友雅はその場を後にする。
角を曲がった頃、誰かが琵琶を弾き始め、また合奏がはじまった。
その音を聞きながら、友雅はほんの少し歩調を速めた。
はたから見れば、友雅のその足取りは軽やかで、まるで遊びにでも行くように見えたかもしれない。
頬に浮かんだあいまいな微笑が、そう思わせるのだ。
友雅自身、周囲にそう思われるのを楽しんでいるふしがあり、誰かに何かを言われても、特に弁明はしない。ただ、微笑むだけだ。

だが、その向かう先は内裏の大門――朱雀門だった。 門から始まって塀に沿い、かがり火が焚かれている。
ゆらゆらと――ただ、ゆらゆらと。
その火の下に、衛士が立つ。
ゆらゆらと揺れる炎の影、弓を手に持ち立つ衛士。
彼らが弓を持つのは、その弦(つる)をはじく音が、魔を祓うとされていたからだ。
四神相応の地にある京の中心であり、陰陽師や僧侶が守る内裏にあって、それ以上の守りが必要かどうかは、友雅にはわからない。
だが、帝の命令であれば、帝を守るために労を惜しまないのが近衛府の仕事だ。そしてそのかがり火は、友雅があらかじめ命じていたものだった。
確認と、衛士たちへのねぎらいのため、かがり火を追って友雅は歩いていく。

不浄なものを焼き払うはずの――炎。
ぱちりと木のはぜる音、闇を祓おうとするゆらぎ。
だが、それが沈み行く陽のかわりにはならず、ただいたずらに黄昏を――せまりくる闇を強調するばかりであることに、友雅は気づいていた。

だが、それがいったいなんだというのだろう?
闇が近づくなら、そうさせたらいい――口にも表情にも出さないが、友雅は心のどこかでそんなことを考えずにはいられなかった。

ぴり、と胸元に裂けるような痛みを感じ、友雅は足をとめた。
今までに感じたことのないような痛みだった。
触れてみても、特に異変はない。
かがり火がはぜ、その火の粉が飛び込んできたのかというような痛み――。

ふ、と友雅は笑みを深くした。
何を考えているのか、誰にもわからない笑みだ。
だが、とても楽しそうに――友雅は笑んだ。
その意外な痛みが、彼に何かをもたらしたように。

ゆっくりと歩き出しながら、友雅は空を見上げる。
遠くから聞こえる楽の音、炎がはぜる音。その中に、別の何かを聞き取ろうとするかのように。

[終]

 
 

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