9世紀半ば、イタリアの都市国家アマルフィの商人が聖地巡礼者用に、修道院と病院を建設。 その施設をフランス人騎士たちが引き継いだことが、騎士団誕生のきっかけとなった。 十字軍の時代、彼らは巡礼者に対する慈善活動と護衛の役目を担っていた。 その後、アッコン陥落により、聖地を追われた騎士団は、ロードス島を占拠。 当時の西欧最高水準の治療を施すといわれた病院を営む一方、 近海を航行するイスラム船を襲撃し、船を漕がされていたキリスト教徒の解放に励んでいた。 その存在は当時、イスラム諸国にとって大きな脅威であり、「キリストの蛇たち」の異名をもって 恐れられていたという。
  古代には地中海随一の貿易都市として繁栄を極めたが、紀元前2世紀にローマに征服されて衰亡。 14世紀初頭に聖ヨハネ騎士団が占拠して以来は、騎士団領として栄えたが、 1522年にスレイマン大帝指揮の下、オスマントルコ軍の侵攻を受ける。 騎士団は、総勢10万人のトルコ軍による苛烈な攻撃を、わずか600人余りで半年近くしのぎ続けたが、 やがて力尽き降伏。翌年1月1日に島を去っていった。 現在でもロードスの旧市街には、騎士団が築いた中世の街並みや、攻囲戦前に大改修を行った城壁が、 ほぼそのままの形で残されており、その随所に戦闘の生々しい傷跡を見ることができる。