明智家 明智光秀 織田家臣。優れた才知と教養により信長に重用されるが、突如謀叛を起こし信長を本能寺に討つ。しかし事後調略に失敗し、山崎合戦で敗れ逃亡中に殺された。 |
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南部家 南部晴政 南部家24代当主。安信の子。将軍・足利義晴の偏諱を賜り、晴政と名乗る。三戸城を本拠に「三日月の丸くなるまで南部領」といわれる広大な版図を築いた。 |
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伊達家 伊達晴宗 伊達家15代当主。稙宗の嫡男。父と対立して天文の大乱を引き起こすが、終息後に家督を相続。父と同じく、婚姻外交を駆使して伊達家の地位を不動にした。 |
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蘆名家 蘆名盛氏 蘆名家16代当主。蘆名家を伊達家と並ぶ奥州屈指の大名に育て上げた、蘆名家中興の祖。同盟をうまく利用し、会津一円から北越後に及ぶ所領を獲得した。 |
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佐竹家 佐竹義重 佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。 |
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北条家 北条氏康 後北条家3代当主。氏綱の嫡男。武田信玄・上杉謙信らと渡り合い、関東に覇を唱えた知勇兼備の名将。寡兵で大軍を破った河越夜戦は、日本三大奇襲の一つ。 |
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武田家 武田信玄 甲斐守護。信虎の嫡男。父の苛烈な政策に反対して父を追放、当主となる。精強な騎馬軍団を率い、臨機応変の知略で織田信長を苦しめた。通称「甲斐の虎」。 |
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徳川家 徳川家康 江戸幕府の創始者。広忠の子。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となる。江戸を拠点に幕藩体制を敷き、250年以上にも及ぶ太平の世の礎を築いた。 |
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織田家 織田信長 信秀の嫡男。今川義元を桶狭間で破る。以後、天下布武を標榜して敵対勢力を次々と滅ぼした。天下統一を目前にして、明智光秀の謀叛に遭い本能寺に散った。 |
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上杉家 上杉謙信 越後の戦国大名。為景の次男。兄・晴景が病弱のため、国人たちから当主に擁立される。「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。通称「越後の龍」。 |
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朝倉家 朝倉義景 朝倉家5代当主。孝景の嫡男。将軍・足利義昭と結び織田信長包囲網の一角を担うが、次第に勢威を失う。刀禰坂合戦で敗北を喫し、一族に背かれて自害した。 |
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松永家 松永久秀 三好家臣。主家を簒奪し、将軍・足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。のち織田信長に属し、謀叛を起こすが敗れ「平蜘蛛」とともに爆死した。 |
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本願寺家 本願寺顕如 本願寺11世法主。証如の子。武家勢力に抵抗し、日本各地で一向宗門徒を蜂起させる。特に織田信長を「仏敵」と罵り10年の長きに渡って抗争を続けた。 |
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鈴木家 雑賀孫市 紀伊の豪族。佐大夫重意の子・重秀。雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に入り、織田信長の軍を苦しめた。石山開城後は豊臣秀吉に仕えたという。 |
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宇喜多家 宇喜多直家 浦上家臣。乙子城主。権謀術数の限りを尽くして敵を葬り去り、家中最大の勢力を築き上げる。最後は主君・宗景を追放して備前1国を掌握した、稀代の謀将。 |
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毛利家 毛利元就 安芸の戦国大名。権謀術数を駆使して勢力を拡大、中国10カ国の主となった稀代の謀将。厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。 |
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長宗我部家 長宗我部元親 土佐の戦国大名。岡豊城主。国親の子。年少時は大人しく「姫若子」と揶揄されたが、見事な初陣を果たした後は「鬼若子」と呼ばれ、十数年で四国を統一した。 |
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大友家 大友宗麟 大友家21代当主。義鑑の子、義鎮。宗麟と号す。最盛期には九州6カ国を領したが、耳川合戦で島津軍に敗れて家臣を多数失い、以後は没落の一途をたどった。 |
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龍造寺家 龍造寺隆信 龍造寺家19代当主。周家の子。村中・水ヶ江両家を統一して勢力を拡大し、九州5カ国2島を領したことから五州太守を自称した。「肥前の熊」とも呼ばれる。 |
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島津家 島津義久 島津家16代当主。貴久の嫡男。優秀な弟たちの協力により領土を拡大、九州をほぼ手中に収めるが、豊臣秀吉の九州征伐軍に敗北し、薩摩1国を安堵された。 |