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![]() のちの太閤・豊臣秀吉。信長の草履取りから立身出世。姫路城を本拠に中国攻め中、本能寺の変が発生。明智光秀を討ち天下人に。 |
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![]() 鬼柴田、かかれ柴田と呼ばれた猛将。本能寺の変後、信長の妹・市を娶り、浅井三姉妹の義父に。賤ヶ岳、北ノ庄で秀吉方と戦った。 |
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![]() 織田家家臣。早くから若狭の統治を任される等、信長から重用される。本能寺の変後は秀吉につき、彼の躍進を補佐していった。 |
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![]() 平安より続く南部家の26代当主。宗家当主の相次ぐ死の後、家中の乱を制し後継となる。豊臣・徳川両政権で領国を保った中興の祖。 |
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![]() 密約外交や敵重臣の暗殺など、巧みな調略で勢力を拡大した出羽の驍将。伊達家・上杉家と戦いながら、最上家最大の版図を築いた。 |
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![]() 幼いころ病で右目を失い、独眼竜とよばれた。片倉小十郎、伊達成実らと共に東北に勢力を広げ、天下への野望を燃やし続けた。 |
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![]() 北条家や伊達家を敵に回しつつ、常陸を統一して佐竹家の最盛期を築いた知勇兼備の名将。陣頭指揮する姿は「鬼義重」と恐れられた。 |
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![]() 早雲に始まる後北条家の四代当主。優秀な弟たちや家臣団に支えられ、北条家の地位を不動のものにした。 |
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![]() 養父・謙信の死後、御館の乱に勝利して家督を継いだ。家臣が丸一日声を聞かなかった日もあるほど寡黙であったという。 |
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![]() 「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された知謀の将。信之、幸村の父。居城・上田城にて二度に渡って徳川の大軍を翻弄、恐れられた。 |
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![]() 江戸幕府の創始者。桶狭間の合戦後に自立し、豊臣家への従属を経て勢力を拡大。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。 |
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![]() 信長の三男。器量に優れ、四国方面軍を任される等、一門として重用された。柴田勝家とともに織田家中で発言力を増す羽柴秀吉に対抗していく。 |
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![]() 信長の次男。伊勢の名門・北畠家の養子として家督を継ぎ、伊勢・伊賀方面を統治する。戦乱の世を生き延び、大名として存続していった。 |
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![]() 雑賀衆の棟梁。雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に入り、織田信長の軍を苦しめた。下間頼廉と共に「大坂之左右之大将」と称された。 |
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![]() 豊臣秀吉に寵愛され、若くして五大老となる。内乱で多くの重臣を失うが、関ヶ原合戦では西軍最大の兵力で奮戦する。 |
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![]() 祖父・元就の死後、家督を継ぐ。中国地方における毛利家の勢力を拡大する。関ヶ原合戦では西軍の総大将を務めた。 |
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![]() 幼いころは色白で優しげな「姫若子」だったが、見事な初陣を飾り「鬼若子」となる。四国を制覇し「土佐の出来人」と呼ばれた。 |
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![]() 豊後など九州6カ国の守護と九州探題を兼ね、大友家の最盛期を築く。のちキリスト教に帰依し、南蛮貿易を行いつつキリシタン王国を目指した。 |
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![]() 九州5カ国2島を領した「肥前の熊」。少弐冬尚、神代勝利ら有力大名を次々に撃ち破り、龍造寺家を九州三強の一角にまでのし上げた。 |
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![]() 島津四兄弟の長男。弟に義弘、歳久、家久。義弘は関ヶ原の敗戦時に家康の本陣近くを敵中突破して生還、鬼島津の名を高めた。 |