織田家 織田信長 天下布武(武力により天下を統一する)印の通り、戦国の覇者となる。明智光秀による本能寺の変により、炎の中に消えた。 |
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直江家 直江兼続 上杉家の筆頭家老ながら、豊臣秀吉に評価され、大名並みに厚遇された。義や温情に厚く、戦では「愛」の字を前立てとした兜を用いた。 |
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伊達家 伊達政宗 幼いころ病で右目を失い、独眼竜とよばれた。片倉小十郎、伊達成実らと共に東北に勢力を広げ、天下への野望を燃やし続けた。 |
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二階堂家 二階堂盛義 須賀川二階堂家の当主。妻は伊達政宗の伯母・阿南。子・盛隆が蘆名家を継いだのを機に勢力を広げ、二階堂家の威勢を大いに回復した。 |
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北条家 北条氏康 早雲に始まる後北条家の三代当主。関東全域に勢力を広げた。内政に優れたほか、日本三大夜戦の河越夜戦に勝利するなど、知勇を備えた将。 |
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井伊家 井伊直虎 遠江井伊谷の領主。不幸が続いて跡継ぎがいなくなった井伊家を切り盛りする一方で、かつての婚約者の遺児である井伊直政を育て上げた「女城主」。 |
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上杉家 上杉謙信 越後の龍。毘沙門天の化身を称し、「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。領土拡大ではなく義のために戦ったという。 |
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武田家 武田信玄 風林火山の旗印で知られる甲斐の虎。武田二十四将と騎馬軍団を率い、天下を目指した。上杉謙信との川中島の戦いは特に有名。 |
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徳川家 徳川家康 江戸幕府の創始者。桶狭間の合戦後に自立し、豊臣家への従属を経て勢力を拡大。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。 |
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竹中家 竹中半兵衛 卓抜した知略を羽柴秀吉に見込まれ、その軍師となる。天才軍師と称されるほどの軍略を駆使して多くの戦果を上げるも、36歳の若さで没した。 |
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前田家 前田利家 加賀百万石の祖。信長の小姓から手柄を重ね、愛妻まつにも支えられ、秀吉政権下では五大老に。甥の慶次は有名な傾奇者。 |
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大谷家 大谷吉継 義に厚く、豊臣秀吉も一目置いた名将。関ヶ原合戦では、親友・石田三成のために病をおして奮戦、藤堂高虎の軍を撃退する。 |
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柳生家 柳生宗矩 柳生新陰流の宗主。大和・柳生の豪族だったが、父・石舟斎より剣術にて家康に仕え、のちに江戸幕府の将軍指南役となった。 |
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真田家 真田幸村 日の本一の兵と称された名将。関ヶ原敗戦後、紀州九度山に蟄居。大坂の陣では父・昌幸譲りの兵法を駆使、赤備えを率いて活躍。 |
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豊臣家 豊臣秀吉 信長の草履取りから立身出世し、織田家の五大将に数えられるまでになる。姫路城を本拠に中国攻め中、本能寺の変が発生。明智光秀を討ち天下人に。 |
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毛利家 毛利元就 一豪族から始まり、中国地方を統一。息子の隆元、吉川元春、小早川隆景へ、兄弟の結束を三本の矢に例えたという話が伝わる。 |
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明智家 明智光秀 美濃の名族に生まれたが、流浪の前半生の末、信長に仕える。筆頭家臣となるも、突如、本能寺の信長を討ち、一時は天下を握る。 |
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黒田家 黒田官兵衛 号は如水。豊臣秀吉の参謀として、その天下統一に大きく貢献した。秀吉は、自身の死後に天下を取るのは官兵衛だと評価し、恐れていたという。 |
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立花家 立花ギン千代 立花道雪の一人娘。道雪から男同然に育てられ、正式な手続きを踏んで立花山城督となる。のち高橋紹運の子・宗茂を婿に迎えた。 |
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島津家 島津義弘 島津四兄弟の次男。島津家を隆盛に導いた家中随一の猛将。関ヶ原合戦では家康の本陣近くを敵中突破して「鬼島津」の名を高めた。 |