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![]() 戦乱の梟雄。仲間6人と誓いを立てて駿河に入り、伊豆・相模を攻めとって後北条家百年の基礎を築いた。戦国時代の嚆矢といわれる。 |
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![]() 出雲より中国地方に勢力を広げ、尼子氏の最大版図を築いた。毛利元就、宇喜多直家と共に中国三大謀将に数えられる。 |
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![]() 尾張守護代に仕える一奉行の立場から尾張随一の勢力となり、三河や美濃を巡って争えるほど躍進を遂げ、子・織田信長が飛躍するための地盤を築いた。 |
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![]() 南部家24代当主。三戸城を本拠に下北半島から北上川中央部まで「三日月の丸くなるまで南部領」といわれた広大な版図を築く。 |
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![]() 陸奥守護。巧みな婚姻政策で勢力を拡大し、大崎氏に代わる存在として幕府に認められ、奥州探題となった。 |
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![]() 室町後期の武将。扇谷上杉家臣。山内上杉家臣・長尾景春の乱を鎮圧するなど活躍。古河公方に対抗するため江戸城を築城し、のちの江戸発展の礎を築いた。 |
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![]() 越後守護代。越後守護・上杉氏を傀儡化し、関東管領も討ち取って越後支配を確立した、下克上の雄。出陣は100回を超えるという。上杉謙信の父である。 |
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![]() 武田氏17代当主。14歳で家督を継ぐ。混乱状態にあった甲斐国内の統一を果たす一方で、積極的な外交を行い、子・武田信玄が飛躍するための地盤を築いた。 |
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![]() 今川家9代当主。北条早雲の後援で家督を相続。父祖の悲願であった遠江攻略を成し遂げた一方で、『今川仮名目録』を制定するなど、文武に優れた。 |
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![]() 本願寺第8世法主。おもに近江・北陸で布教活動を展開。そのカリスマ性と、平座で門徒と接する庶民的な教化により、本願寺派の発展に尽力した。 |
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![]() 近江の戦国大名。小谷城主。主家・京極家の内紛に乗じて勢力を拡大する。朝倉家の援助を受けて六角定頼の軍を撃退し、江北に覇を唱えた。 |
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![]() 細川京兆家12代当主。明応の政変を起こして足利義澄を将軍に擁立。幕府内の最高権力者となって幕政を牛耳り「半将軍」の異名をとった。 |
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![]() 室町幕府12代将軍。細川家との対立により、しばしば京を追われたが、巧みな外交戦略により征夷大将軍の地位は保持し続けた。 |
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![]() 一豪族から始まり、中国地方を統一。息子の隆元、吉川元春、小早川隆景へ、兄弟の結束を三本の矢に例えたという話が伝わる。 |
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![]() 大内氏30代当主。7カ国の守護のほか、室町幕府の管領代も務めた。内乱を鎮め、また足利義稙を擁して上洛するなど、生涯を戦陣の中で過ごした。 |
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![]() 三好長慶の父。足利義維・細川晴元を擁して管領・細川高国らを追い、堺に公方府を樹立させ、畿内に大きな影響力を持った。 |
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![]() 土佐の戦国大名。岡豊城主。父・兼序の死後、一条房家を頼り、房家の援助により居城に復帰。婚姻外交と積極的な富国策で家の再興に生涯を捧げた。 |
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![]() 大友氏20代当主。肥後守護・菊池家に弟の義武を送り込むなど領土拡大政策をとる一方で、足利将軍家と緊密な関係を持つなど勢力拡大に貢献した。 |
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![]() 龍造寺隆信の曽祖父。主家・少弐家内の勢力争いにより子や孫を多数殺され、一族存亡の危機に陥るも、仇敵を討ち果たして龍造寺家再興を成し遂げた。 |
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![]() 島津宗家を継いだ子・貴久を支援して薩摩統一に邁進し、島津家躍進の基礎を築いた、島津家中興の祖。忠良が作った「いろは歌」は、藩士の規範となった。 |