1日目 一条信龍の紹介状
2日目 指南役の紹介状
3日目 行動力回復書
4日目 獅噛形兜
5日目 兵力回復書
6日目 技能指南役の紹介状
7日目 行動力拡大書
8日目 甲陽軍鑑
9日目 一条信龍の紹介状
10日目 家来枠拡大書
武田家 風林火山の旗印で知られる甲斐の虎。武田二十四将と騎馬軍団を率い、天下を目指した。上杉謙信との川中島の戦いは特に有名。 |
|
三好家 五兄弟で力を合わせて主君を追放し、畿内の勢力を簒奪。将軍家をも国外に追いやり、下克上を成した「最初の戦国天下人」。 |
|
藤堂家 幾多の名城を築いた当世一の築城名人。高石垣を用いた手法を得意とした。より力量ある者を見極め、主君を7度も変えた流浪の出世人。 |
|
津軽家 三国志の関羽に憧れて髭を伸ばしており、「髭殿」と呼ばれた。機を計って主家・南部家から独立すると、17年かけて津軽を統一した。 |
|
蒲生家 文武両道の才将。信長に見出され、秀吉にも力量を高く評価され警戒された。戦場では常に先陣に立つ一方、茶道・和歌にも優れた。 |
|
伊達家 幼いころ病で右目を失い、独眼竜とよばれた。片倉小十郎、伊達成実らと共に東北に勢力を広げ、天下への野望を燃やし続けた。 |
|
佐竹家 北条家や伊達家を敵に回しつつ、常陸を統一して佐竹家の最盛期を築いた知友兼備の名将。陣頭指揮する姿は「鬼義重」と恐れられた。 |
|
北条家 早雲に始まる後北条家の三代当主。関東全域に勢力を広げた。内政に優れるが、日本三大夜戦の河越夜戦など、知勇を備えた将。 |
|
真田家 「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された知謀の将。信之、幸村の父。居城・上田城にて二度に渡って徳川の大軍を翻弄、恐れられた。 |
|
上杉家 越後の龍。毘沙門天の化身を称し、「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。領土拡大ではなく義のために戦ったという。 |
|
徳川家 江戸幕府の創始者。桶狭間の合戦後に自立し、豊臣家への従属を経て勢力を拡大。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。 |
|
織田家 天下布武(武力により天下を統一する)印の通り、戦国の覇者となる。明智光秀による本能寺の変により、炎の中に消えた。 |
|
本願寺家 本願寺11世法主。証如の子。武家勢力に抵抗し、日本各地で一向宗門徒を蜂起させる。特に織田信長とは10年の長きに渡って抗争を続けた。 |
|
足利家 室町幕府15代将軍。兄の義輝が殺害された後各地を放浪、織田信長の後援で将軍職に就くが後に対立、信長包囲網を画策する。 |
|
黒田家 号は如水。豊臣秀吉の参謀として、その天下統一に大きく貢献した。秀吉は、自身の死後に天下を取るのは官兵衛だと評価し、恐れていたという。 |
|
毛利家 一豪族から始まり、中国地方を統一。息子の隆元、吉川元春、小早川隆景へ、兄弟の結束を三本の矢に例えたという話が伝わる。 |
|
長宗我部家 幼いころは色白で優しげな「姫若子」だったが、見事な初陣を飾り「鬼若子」となる。四国を制覇し「土佐の出来人」と呼ばれた。 |
|
立花家 落雷で歩行不能となるが、輿に乗って各地を転戦し、「鬼道雪」と恐れられた。落雷を受けた際、雷の中で雷神を斬ったといわれる。 |
|
加藤家 賤ヶ岳七本槍の1人。朝鮮派兵で活躍し「虎加藤」の逸話を残す。関ヶ原合戦で東軍に属し、肥後熊本52万石を得た。築城にも優れ、熊本城は特に有名。 |
|
島津家 島津四兄弟の次男。島津家を隆盛に導いた家中随一の猛将。関ヶ原合戦では家康の本陣近くを敵中突破して「鬼島津」の名を高めた。 |