|
井伊家
遠江井伊谷の領主。不幸が続いて跡継ぎがいなくなった井伊家を切り盛りする一方で、かつての婚約者の遺児である井伊直政を育て上げた「女城主」。
|
|
大祝家
大山祇神社の大祝職の娘。大内水軍との戦いで恋人を失うも、奮戦して大内水軍を撃退。その後間もなく、恋人の後を追った。
|
|
津軽家
三国志の関羽に憧れて髭を伸ばしており、「髭殿」と呼ばれた。機を計って主家・南部家から独立すると、17年かけて津軽を統一した。
|
|
最上家
密約外交や敵重臣の暗殺など、巧みな調略で勢力を拡大した出羽の驍将。伊達家・上杉家と戦いながら、最上家最大の版図を築いた。
|
|
伊達家
伊達家16代当主。「天文の乱」により失われた伊達家の領土を巧みな外交戦略によって回復し、南奥羽に多大な影響力を持った。
|
|
成田家
成田氏長の娘。忍城の戦いでは寡兵で石田三成を破った。「東国無双の美人」と評され、男子であれば成田家の当主となっていたといわれる。
|
|
北条家
早雲に始まる後北条家の四代当主。優秀な弟たちや家臣団に支えられ、北条家の地位を不動のものにした。
|
|
上杉家
養父・謙信の死後、御館の乱に勝利して家督を継いだ。家臣が丸一日声を聞かなかった日もあるほど寡黙であったという。
|
|
武田家
信玄の四男。当初は諏訪氏を継いだため、諏訪四郎と呼ばれた。家督の相続後、強硬策をもって領国を広げた勇将。
|
|
徳川家
江戸幕府の創始者。桶狭間の合戦後に自立し、豊臣家への従属を経て勢力を拡大。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。
|
|
本願寺家
本願寺11世法主。証如の子。武家勢力に抵抗し、日本各地で一向宗門徒を蜂起させる。特に織田信長とは10年の長きに渡って抗争を続けた。
|
|
織田家
天下布武(武力により天下を統一する)印の通り、戦国の覇者となる。明智光秀による本能寺の変により、炎の中に消えた。
|
|
明智家
美濃の名族に生まれたが、流浪の前半生の末、信長に仕える。筆頭家臣となるも、突如、本能寺にて信長を討ち、一時は天下を握った。
|
|
鈴木家
雑賀衆の棟梁。雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に入り、織田信長の軍を苦しめた。下間頼廉と共に「大坂之左右之大将」と称された。
|
|
宇喜多家
暗殺・毒殺・騙し討ちなど、権謀術数の限りを尽くして敵を葬り去った稀代の謀将。最後は主君・浦上宗景を追放して備前を掌握した。
|
|
毛利家
祖父・元就の死後、家督を継ぐ。中国地方における毛利家の勢力を拡大する。関ヶ原合戦では西軍の総大将を務めた。
|
|
長宗我部家
幼いころは色白で優しげな「姫若子」だったが、見事な初陣を飾り「鬼若子」となる。四国を制覇し「土佐の出来人」と呼ばれた。
|
|
立花家
立花道雪の一人娘。道雪から男同然に育てられ、正式な手続きを踏んで立花山城督となる。のち高橋紹運の子・宗茂を婿に迎えた。
|
|
鍋島家
龍造寺を支え続けた知勇兼備の将。主君隆信の討死後は傾いた主家に代わって肥前の国政を行い、佐賀城主として大名となる。
|
|
島津家
島津四兄弟の長男。弟に義弘、歳久、家久。義弘は関ヶ原の敗戦時に家康の本陣近くを敵中突破して生還、鬼島津の名を高めた。
|