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201X織田家
「信長の野望 201X」より参戦。尾張の戦国大名。天下布武を標榜して敵対勢力を次々と滅ぼした。天下統一を目前にして、明智光秀の謀叛に遭い炎の中に消えた。
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201X毛利家
「信長の野望 201X」より参戦。安芸の戦国大名。権謀術数を駆使して勢力を拡大、中国10カ国の主となった稀代の謀将。厳島合戦では数々の謀略を用い陶晴賢を破った。
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201X上杉家
「信長の野望 201X」より参戦。越後の戦国大名。関東管領職を譲られ、上杉姓を名乗る。「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。通称「越後の龍」。
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201X今川家
「信長の野望 201X」より参戦。駿河の戦国大名。異母兄・玄広恵探を倒して家督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛を目指した。
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201X前田家
「信長の野望 201X」より参戦。戦国一の傾奇者。前田利家の兄・利久の養子となる。槍を使えば天下無双、風雅の道にも造詣深かった。関ヶ原合戦では上杉家に属して戦った。
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201X鈴木家
「信長の野望 201X」より参戦。紀伊の豪族。佐大夫重意の子。通称「雑賀孫市」。雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に入り、織田信長の軍を苦しめた。
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201X細川家
「信長の野望 201X」より参戦。名門・細川家の出自にして、当代一流の文化人、当代屈指の戦上手として知られる。冷静にして激しやすい性格で、妻を愛してやまない。
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201X尼子家
「信長の野望 201X」より参戦。出雲より中国地方に勢力を広げ、尼子氏の最大版図を築いた。毛利元就、宇喜多直家と共に中国三大謀将に数えられる。
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201X大内家
「信長の野望 201X」より参戦。大内家31代当主。7カ国の守護を務め中国・九州に覇を唱えた。子・晴持の死後は文事に傾倒し、山口に独自の文化を築いた。
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201X武田家
「信長の野望 201X」より参戦。甲斐守護。父・信虎を追放、当主となる。精強な騎馬軍団を率い、臨機応変の知略で織田信長を苦しめた。通称「甲斐の虎」。
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織田家
天下布武(武力により天下を統一する)印の通り、戦国の覇者となる。明智光秀による本能寺の変により、炎の中に消えた。
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伊達家
幼いころ病で右目を失い、独眼竜と呼ばれた。片倉小十郎、伊達成実らと共に東北に勢力を広げ、天下への野望を燃やし続けた。
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北条家
早雲に始まる後北条家の三代当主。関東全域に勢力を広げた。内政に優れたほか、日本三大夜戦の河越夜戦に勝利するなど、知勇を備えた将。
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真田家
日の本一の兵と称された名将。関ヶ原敗戦後、紀州九度山に蟄居。大坂の陣では「真田丸」と呼ばれる出城を築き、徳川軍を翻弄した。
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上杉家
越後の龍。毘沙門天の化身を称し、「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。領土拡大ではなく義のために戦ったという。
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武田家
風林火山の旗印で知られる甲斐の虎。武田二十四将と騎馬軍団を率い、天下を目指した。上杉謙信との川中島の戦いは特に有名。
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徳川家
江戸幕府の創始者。桶狭間の合戦後に自立し、豊臣家への従属を経て勢力を拡大。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。
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毛利家
一豪族から始まり、中国地方を統一。息子の隆元、吉川元春、小早川隆景へ、兄弟の結束を三本の矢に例えたという話が伝わる。
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長宗我部家
幼いころは色白で優しげな「姫若子」だったが、見事な初陣を飾り「鬼若子」となる。四国を制覇し「土佐の出来人」と呼ばれた。
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島津家
島津四兄弟の長男。弟に義弘、歳久、家久。義弘は関ヶ原の敗戦時に家康の本陣近くを敵中突破して生還、鬼島津の名を高めた。
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