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真田(幸)家
日の本一の兵と称された名将。関が原敗戦後、紀州九度山に蟄居。大坂の陣では「真田丸」と呼ばれる出城を築き、徳川軍を翻弄した
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豊臣家
秀吉の次男。わずか5歳で天下人を継ぐ。関ヶ原合戦後、強大化を続ける徳川家康に対し、大坂城での決戦に踏み切った。
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徳川家
織田信長との同盟、豊臣秀吉への従属を経て勢力拡大。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍に。その後、将軍職を子の秀忠に譲るが、大御所として実権を握った。
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真田(信)家
幸村の兄。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。。 |
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津軽家
三国志の関羽に憧れて髭を伸ばしており、「髭殿」と呼ばれた。機を計って主家・南部家から独立すると、17年かけて津軽を統一した。
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最上家
密約外交や敵重臣の暗殺など、巧みな調略で勢力を拡大した出羽の驍将。伊達家・上杉家と戦いながら、最上家最大の版図を築いた。
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伊達家
幼いころ病で右目を失い、独眼竜と呼ばれた。片倉小十郎、伊達成実らと共に東北に勢力を広げ、天下への野望を燃やし続けた。
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武田家
風林火山の旗印で知られる甲斐の虎。武田二十四将と騎馬軍団を率い、天下を目指した。上杉謙信との川中島の戦いは特に有名。
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北条家
早雲に始まる後北条家の三代当主。関東全域に勢力を広げた。内政に優れたほか、日本三大夜戦の河越夜戦に勝利するなど、知勇を備えた将。
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上杉家
越後の龍。毘沙門天の化身を称し、「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。領土拡大ではなく義のために戦ったという。
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織田家
天下布武(武力により天下を統一する)印の通り、戦国の覇者となる。桶狭間の戦いで今川義元から接収した宗三左文字を愛用した。
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前田家
加賀百万石の祖。信長の小姓から手柄を重ね、愛妻まつにも支えられ、秀吉政権下では五大老に。甥の慶次は有名な傾奇者。
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細川家
名門・細川家の出自にして、当代一流の文化人、当代屈指の戦上手として知られる。冷静にして激しやすい性格で、妻を愛してやまない。
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福島家
豊臣秀吉子飼いの勇将にして、賤ヶ岳七本槍の筆頭。石田三成と衝突し、関ヶ原合戦では東軍の主力として奮戦。戦後、安芸広島49万石を得る。
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毛利家
祖父・元就の死後、家督を継ぐ。中国地方における毛利家の勢力を拡大する。関ヶ原合戦では西軍の総大将を務めた。
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長宗我部家
幼いころは色白で優しげな「姫若子」だったが、見事な初陣を飾り「鬼若子」となる。四国を制覇し「土佐の出来人」と呼ばれた。
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藤堂家
幾多の名城を築いた当世一の築城名人。高石垣を用いた手法を得意とした。より力量ある者を見極め、主君を7度も変えた流浪の出世人。
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黒田家
号は如水。豊臣秀吉の参謀として、その天下統一に大きく貢献した。秀吉は、自身の死後に天下を取るのは官兵衛だと評価し、恐れていたという。
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加藤家
賤ヶ岳七本槍の1人。朝鮮派兵で活躍し「虎加藤」の逸話を残す。関ヶ原合戦で東軍に属し、肥後熊本52万石を得た。築城にも優れ、熊本城は特に有名。
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島津家
島津四兄弟の長男。弟に義弘、歳久、家久。義弘は関ヶ原の敗戦時に家康の本陣近くを敵中突破して生還、鬼島津の名を高めた。
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